「自分の言い分を通すときに相手の面子を立てるってすごく大事で、外交で一番大事なのは誠意だというのはその辺に通じるのね多分。」

オナ禁スレに次から次へとエロ画像が投入される流れを見ると、『まんじゅうこわい』という物語は人間心理を描ききった名作なんだなって実感する。」

「いわゆるネット論壇の人たちが自分に対するクリティカルな批判は全部ガン無視して、言い負かしやすそうな頭の悪い人間にだけ言い返してるのを見ると、お前らが言ってる成熟した社会なんか永遠に来ねえよバーカと思いますね」

「やはりインターネットは具体的な欲望を持たねばなにひとつ探せないようにできているな。」

「図に乗ったやつの懲らしめかたのレクチャー受けたら(どんだけ周りにケンカ番長おんねん)、「弱味を見つけて、そこを連打すること」って言われた。しつこくしつこく突くのだと。嘘ついてるのなら、嘘つきと連打すればいいのね。」

もう少しある分は後日へ。

某所より。
「知り合いに、海外には女騎士とか女教師みたいなジャンルの中に「車がエンストして動かなくなった女」ってジャンルがあると聴かされて必死で笑いこらえてる」
図らずも「スタックガールズ」という単語を知ってしまった訳だけど、思い返してみると、舘淳一の短編「山賊峠の女たち」ってまさに「車がエンストして動かなくなった女」たちだったんだなあ。「月刊小説」91年11月号とあるけれど、きっと既に存在したジャンルだったのだろうなあ。

「ただ、マトリックスは「何も語らない」「観客に考えさせる」というスタイルを貫いたのに対して、キャシャーンは「全てをセリフで語りつくす」「観客に議論の余地を与えない」というまったく逆のスタイルで作られている。このスタイルこそが、一種の押し付けがましさ・説教臭さ・青臭さ・傲慢さと受け取られ、反発される一因になっているのだろうと思う。だが、この説教臭さ、愚直なまでの必死さこそが、かつての邦画のひとつの魅力だったのではないだろうか。邦画の黄金時代には、説教映画が多数製作されていた。「新幹線大爆破」の宇津井健のウェットな説教や、「ノストラダムスの大予言」や「人間革命」で丹波哲郎が繰り出す強引極まりないオレ流説教。かつて、日本人はこれらの説教映画で感動して泣いていたはずである。みんな、かつては馬鹿だったのだ。」