「僕は「復讐のために戦うのは駄目」とか「怒りに任せて戦うのは駄目」ってのが大っっっ嫌いなんだけど、今日のニンニンジャーで言ってた「心の弱い奴がそれをやると隙ができるから駄目」ってのはめっちゃ納得した
たしかにそれなら早川健はなんの問題も無いわ」

「ある分野のマイノリティが他の分野では無邪気なマジョリティというのは充分両立されるわけで、私は世間に言う辛い思いをした人は他人に優しいとか痛みを知ってる人は他人の痛みがわかるとか、全部幻想だと思います。分かる部分しか分からないし、察せる部分しか察しないし、知ってることしか知らない。」

チェーホフの「第一幕で壁にピストルがかかっていたら、後の幕で発砲されなくてはならない」は有名な言葉ですが、その逆も真実。物語の後半で銃を撃つなら、その銃を第一幕で登場させるべきなのです。(ワイランド)」

もう少しある分は後日へ。

台風で雨風がひどくなる前に、珈琲豆を買って、図書館に本を返却。伊集院大介は本物のブルーマウンテンを1日に10杯は飲むそうだけど、今はブルーマウンテンの豆も値上がりして、それだけの量を飲み続けるのも大変そうである。

某所より、エラリー・クイーンの『九尾の猫』に寄せて。
「ことがそこまで発展していくと、本書はミステリであり、「連続殺人事件」が起こっているのだから、その連続殺人事件の謎を解けばいいのだろう──とはいかなくなってくる。でもこれを読んでいて「そうだよなああ」と思ったのだった。5人も6人も殺されるような連続殺人事件が同じ街で起こったら、そりゃ住民の側からしたら「切り裂きジャック」ばりのパニックだし、それをまったく止められない警察を信用するはずがないよ。」
これと同じ現象が起こり得ただろうけれど作中で触れられていなかった、と後から気付いたのが『黄昏の天使』。スケジュール道理に殺人事件が進行するとなると、少なくとも3人、いや、もっと連続してから取り掛かるようになるのだったかな? 鴨川の警察署も遠巻きに見物したなあ。

「ファンなんです〜!握手して下さい!とか言う人は大してファンではないと思う。まず発見した時点で脂汗が止まらなくなり眼球が麻薬中毒者の様にギョロギョロと泳ぎだし最終的に話し掛けるか話し掛けないかを死ぬほど悩んだ挙げ句後ろ姿をじっとり見つめその出来事だけを糧にして生きていくんだと思う。」