「高校の頃「何かに苦しんでいる人には批判が寄せられやすい。失敗して批判されて萎縮してまた失敗する、ってループに陥るから。だからミスりまくってる人がいても俺はあまり批判しないようにしたい」と友人が言ってて、当時割と目から鱗だったんだけど、今考えてもこれは大事なことな気がする。」

「昔高校の地学専攻の先生に「幸せって何ですかね」って聞いたときに「明日が楽しみなことじゃない?」って答えてもらったのを覚えてる。素敵な先生だった。」

「あるタイプの人々にとって大切なのは、語られている言葉が真実であるのかどうかではなくて、語っている人間が決然としているかどうかである」

「飲み会で恋愛話になった時に後輩の女の子が「まず私のことが好きな男にアプローチするんですよ。そしたらそいつは私と両想いだって思うじゃないですか。それでイケメンに『最近ストーカーに付き纏われてて…』って相談するとすげー確率で上手くいくんですよね」って言ってるのを聞いて泡吹いて倒れた。」

もう少しある分は後日へ。

午前3時前後に土砂災害の避難勧告がアナウンスされて、付近の何処かでは危険な場所もきっとあったのだろう。新設された遊水地が役立ったのか、雨量の割に水の被害は見当たらない。北関東では堤防が決壊して床上浸水どころか家ごと流されるような被害、終日ニュースに。2つの台風に挟まれて雨雲が停滞したのだとか。

某所にて、「【ゆっくり雑談】「なぜボーカロイドは衰退したのか」を解説する」という動画が紹介されていたので眺めてみる。ボーカロイドの栄枯盛衰に関してはよく分からないので置いておくとして、手法の移り変わりや商業への展開等、小説家になろうが将来的に似たような道をたどるのを予め見ているような、そんな感覚があった。そして、またしても『ポートタウン・ブルース』の「末期があれば、最盛期もある。きっと初期もあっただろう。それがそんなに不思議なことか」という台詞を思い出す。もっとも、小説家になろうは元来商業ベースではなかったし、知名度が上がってきた頃に二次創作を(ほとんど)禁じたりもして、ボーカロイドの道を素直にたどる訳ではないだろう。Arcadiaも諸事情でメンテナンスが滞らなければ、もう暫くは賑やかだったのかなあ。

ヤンデレには二種類ある
ヒロインが恋愛によって壊れる場合
そして壊れているヒロインが恋愛する場合だ」