「こう、「あの人は優しい人だから……」というのは婉曲的な表現で、「あの人は、嫌なことを嫌と言えずに、限界まで我慢してしまう人だ」の言い換えだったりすることが、ある。」

「「イヤと言わずに限界まで我慢すること」は「優しさ」ではない、という認識よ、広まれ。」

「TVが壊れて電気屋に買い替えに行くとする。いろんな種類のTVがあって迷う。でも本当は、TVなんて映りゃいいのだ。一度買ったら画質を比較したりはしない。でも迷う。おそらく結婚も同じだと思う。人間を横並びに並べて比較すると、不要な機能までチェックしてベストを選ぼうとしてしまう。」

「人生の正解求めすぎだろ。面白いことやればいい。」

「監督の家業を知ることで見えてくるものというのは、調べる習慣がない人にはわかりにくいものなんじゃないかと」

「子どもは大人の正論じゃ動かないし
いい意味でまっすぐ悪い意味で視野狭窄なので自分一人でゴールラインを決めてしまう」

「その人が黙って座っているだけでまわりの空気を美しくできる人がほんとうの美人なんだなと思いました。」

「オタクってバレるのが死ぬほど怖いみたいな感覚今の若いオタク分かるんだろうか」

「詩集の余白に怪獣描くと素敵よ。」

もう少しある分は後日へ。

GyaOで『LUPIN THE IIIRD 次元大介の墓標』の前後編、視聴可能期限が今夜までと見かけて、際どいタイミングで鑑賞。タイミングから考えると、今日が上映初日にあたる『LUPIN THE IIIRD 血煙の石川五ェ門』の宣伝を兼ねていたのだろう。ウィキペディアを覗いてみたところ、「『LUPIN the Third -峰不二子という女-』の流れをくむスピンオフシリーズ」だそうで、TVスペシャルの軽い雰囲気は欠片もない、PG12指定に相応しい面白さだった。ラストでマモーの登場するサービスカット、ネットで感想は見かけていたけれど、なるほどなるほど。次元大介と隻眼の狙撃手との対決は、どこかで見かけたハリウッド脚本術だったか、「3度の敗北の後に勝利を手にする」というセオリーを思い出しながら見ていた。敗北の見せ方も1回毎に手を変え品を変えて、この品質が毎年TVスペシャルで見られたらいいのになあ。

リア充の代表みたいな人に「20代後半くらいの歳の人が女子高生の制服着てるのってエロいですよね」みたいなライトな話をしたらガチ変態扱いされたから世の変態のハードルは想像以上に低いようです」