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「重い子にとって一番どうでもいいのが、世間体だ」
「説教って暗い気持ち良さがあるからな」
「紀貫之は男なのに女の振りして土佐日記を書いた、って習った時は「なんでわざわざそんなことするんだよ」と思ったけど、Twitter始めてからそれは一部の日本男児の本能だってことが悲しいくらい理解できました。」
「いちいち悪者に一本筋を通して主人公の方が根拠不足になるなんて本末転倒だ」
「できるわけねーだろ!
とまともに組み合うんじゃなくて
寝言はいらん聞きたいのは断末魔だ!
って雪崩れ込んじゃえばいいのに」
「自分の事を憶えててくれる人がいる、それが自分が好きな人であるというのは、とてつもない救いだよね……。」
「ぎゃー。火閻魔人が新連載とか。」
もう少しある分は後日へ。
「この本をみろ!」(ARE)を引っ張り出してみたら、アニメGPのコンテンツでやはり集計にまつわる話があって、そこでは「渡しの場合は今あるアニソンのうちの半分くらいしか歌えないし、一割程度は聴いたことすらないものがあるわけである。(それでも多い方だという話もあるが)」とあった。うーん、記憶だと他の人がもっと高い割合を挙げていた気がしたけど、模造記憶だったか、他の部分だったのか。発行は1989年3月25日で「アニメソングマガジン」と同じ日付。「今、角川の青背が面白い/ヤング・アダルト」というコンテンツがあるので、ウィキペディアで「ライトノベル」を見てみると……「「ライトノベル」の命名は、1990年初めにパソコン通信ニフティサーブの「SFファンタジー・フォーラム」において、それまでのSFやファンタジーから独立した会議室を、会議室のシスオペであった“神北恵太”が「ライトノベル」と名付けたことが始まりであるとされる。」ので、年代的にライトノベルという単語が登場していなくても不思議はない。表紙が北久保弘之(裏表紙は福島晴喜)なのは、「逆襲のAVA」(ARE)でアダルトビデオアニメにまつわるインタビューを掲載していたからなのかな。こちらは1988年8月13日発行。こっちは編集協力が「東京大学SF&アニメーション研究会」。
WindowsUpdateで更新されずループする問題が発生したらしく、どうやらASAに被害が。自動更新はカット、半日はネットで様子見、神経質に神経質に。