「うぶなねんねじゃあるめえし。殺して傷つけてだまして奪って生き残る!」

「幾原監督は上手い事行ったらスタッフの努力を誉めるし、富野監督は問題が起きたら自分で責任を被って部下を守る。まあ、著作権表示はゲットしてるわけだが。やっぱり独裁者よりアニメ監督の方がカッコいいよ」

「キャラクター同士を切り離すことで、悲劇は演出される。利害、組織や国家、家や種族、時間、情報… そしてその切断線を越えることで感動モノも成り立つ。ところが、こういった境界線を、コメディのキャラクターたちは、葛藤も感動もなく、さも重要でないかのように越えていく。おそろしいものである。」

「「月が綺麗ですね」の反対は「月は綺麗ですね」と聞いて日本語って凄いなって」

もう少しある分は後日へ。

Windows7のデスクトップは今日も起動時が妙な英字画面でしつこく再起動。Thunderbirdが妙なタイミングでクラッシュしてしまったようで、迷惑メールフォルダを含めて設定が幾つか飛んでしまったらしい。閉じる時に迷惑メールフォルダの中身を削除するのって何処でどう設定するのだったか忘れてしまって困ってる。

某所より。
「『けいおん!』というアニメは何だったのか私なりに要約すると、「今を肯定する物語」だったのではないかと思う。」
「基本的にドラマというものは「今の否定」を推進力に進むものだ。ドラマとは起こった問題をいかに解決するかという過程である。「問題解決」とは「現状の問題の解決」であって、すなわち「現状の否定」でもあるからだ。登場人物たちは「今の否定を達成する」に奔走し、結果巧く行ったり行かなかったりして物語は閉じる。」
ああ、なるほど。何処だったか、「『けいおん!』を見るのが辛い人がいるなんて思いも寄らなかった」というコメントを見て、その意味を把握しかねていたのだけれど、「今を肯定する物語」なら辛い人がいるのも分かる。中島梓だったかな、「物語は壊れた状態で始まってそれがあるべき場所へ収まっていく」と表現したのは。今週の『神のみぞ知るセカイ』も『けいおん!』のように演奏していた回で、前後を知らないけど、あれは恐らく何かを否定する方の話なのではと想像する。少なくとも現状肯定ではなかったのだろう、と。

「重大事ほど、自分だけで行ってはいけないのである。

 そして、他人に行ってもらうというのは、自分で行う以上に難しい。」