「「海外の反応」系ブログを読むと、アメリカのオタクは「サービスシーンやハーレムアニメはうんざりだ!」とか言う。「俺はアニメの硬派なストーリーやアクションが好きだから見てるんだぜ、こいつはジャリ向けカートゥーンとは違うんだ」と言い訳する。もろ僕達が80年代通ってきた道です。」

「前世の死に方が転生者の弱点
 という設定にでもしない限り転生の仕方を工夫しても無意味すぎる……」

「優秀な中学生に先取り教育する塾のバイトの募集要項に,「いかに態度が大人びていて,抽象的な概念を理解できても,中学生は中学生なので優しく扱え」みたいなことが書いてあったことを思い出した」

「例のフレスコ画無断修復の婦人は一ついいことをしたかも知れなくて、これからは「情熱と善意と自分が正しく導かれているという完全な確信のもと、ひどいことになる」を「ボルハのフレスコ」と言えるようになることです。自分がそうなってないか、誰もが豊かなイメージとともに反省することができる。」

「物事を行う最善の方法は、常に前進することだ。なにも疑わず前に進み続け、間違えたら間違えたって言う」

もう少しある分は後日へ。

柳広司の『漱石先生の事件簿―猫の巻』をパラパラと。『吾輩は猫である』を知っていれば楽しめる場面が多々あるようだけど、生憎の未読。明治の風俗は面白い。でも、ミステリーとして読もうとするとちょっと辛いところも……『百万のマルコ』でもそんな短編が幾つかあったかな。D機関シリーズ3作目の『パラダイス・ロスト』はまだ読んでいないので、漱石先生よりもそちらが気になる。

先月末までだったデニーズ跡地が更地になりそうだったり、もう数ヶ月前に閉店した坂下の蕎麦屋が更地になっていたり、風景は変わっていく。LIと行った時に見た佐倉の線路沿いの道路もかなり区画変更の影響を受けていた。道とランドマークはどんどん変わっていって古いデータが記憶の名残。

葬儀の看板で見かけた珍しそうな名字、狐塚・若菜・志津野・粟飯原・霞。

「忘却と無視の繰り返しだ。だったら何したって怖くはない。
ただ自分の素直な表現や言葉を出せたとき、必ずそれを評価してくれる人がいる。通じる人がいる。
100回勝負して1回でも目を向けてもらえたら、君の勝ちだ。
1回も勝負しないでビビる必要はない。誰も君のことなんか見てないから、今のうちに自由に踊るべきだ。」