「1960-70年代は社会全体に「モラルや秩序を破壊することが格好いい」という風潮が各メディアにあったため、特に小説分野は一番モラル・ハザード起こしていて面白いと思う(笑)」

「しかしあれですよ。32年前に27万円出してmz-2000を買ったのに、ハドソンの「4人打ち麻雀」を遊ぶ事しかしなかったうちの親父が、現在20万出してノートパソコン買ったのにソリティア専用機にしている懲りなさは、何か宗教的な呪いにでもかかっているのかしら」

「オレが知る限り最も古い例として、『太/陽に/ほ/えろ』のホモ同人やってた方々が石/原/プロの撮影所だかを見学に行った際、「ここで脚本の企画などを話し合います」と案内された会議室のテーブル上に自分達の出したホモ同人誌が無造作に投げ出してあったと言う怖い話がある」

「多感な少年時代にフランケンふらんとか読んでたら性嗜好歪みまくると思うけど多感な少年時代にチャンピオンRED読んでる時点で手遅れだ」

「誰も彼もが「教育というババ」を引きたがらず、教育済みの連中を掻き集めようとする。持続するはずがない。」

もう少しある分は後日へ。

雷雨の最中等に少しずつ『オーバーロード』の4巻を。リザードマンにとっては種族存亡の危機も、侵略者達にとっては一つの実験に過ぎず、これもある種のギャップ萌え? 世界征服の魔の手は及び腰ながらもゆるゆると。

「昔は出会いの場は少なかった。だから狭い世界で出会った人と、多少のことは目をつむって暮らしてきた。昔の大人は我慢強かった。世界が狭いがゆえに、そこで生きて行くしかないことをよく知っていた。狭い世界は、15年や20年も人生を送れば、一通りのものが見られた。その世界の外側があることは認識していたが、手が届くものではなかった。好奇心は失われ、黙々と生きる日々を送ることができた。それが「大人になる」という事だった。

 いま、世界は事実上、無限に広がっている。人々との出会いはいくらでもある。住みたいところに住み、食べたいものを食べ、寝たいところで寝る、そういった事も、そう難しい話ではなくなった。広がりすぎた世界にいると、好奇心は満足することがない。飽きることがない。「好奇心を失うこと=大人になること」だった時代は、そこで終わりを告げる。世界は無限だ。昔の大人から見れば、彼らはいつまでたっても子供のままに見えるだろう。」