「週1で文章学校に行って1年生の顔を見てます。毎年入ってくる新入生のだいたい3/4は、自分のなかに埋れているなにかが発現する(か、だれかがそれを発見する)のを、いまの自分をまったく変えぬまま待つ気でいるタイプ。砂漠の惑星の農夫にジェダイの遺伝子が覚醒したり、取り柄のない14歳が突然「お前が乗るしかないんだ」とエヴァに乗せられたり、いじめられっ子が11歳の誕生日に自分が選ばれし者だと知り魔法学校に入ったりするような始まりかたを想定しているらしいです。」

「学校の帰りにたとえば好きな子とふたりきりで3ブロックほど同道するチャンス(ピンチ?)にさいして、その3ブロックのあいだになにも相手に惚れさせなくてもいいが、気まずい緊張感を与えないように、話しかけづらい奴と思われないように保たす術を、小学校の国語の授業は教えないからね。」

「「好きな女の子に彼氏がいない時は全世界の男が敵だが、彼氏がいる時はそいつ1人が敵だから楽」というあの説を信じてる奴は、その彼氏がかつて全世界の男に勝利した地上最強の男であるというごく簡単な事実を見落としている。」

もう少しある分は後日へ。

鏡開きの日。パン屋が寸胴にお汁粉、網焼きでお餅という万全の体制で待ち構えていた。それを、訳あって、ちょっと苦労して持ち帰るのもまた楽し。

某所より。
「我々は「細分化された専門分野の専門家であり、同時に自分の専門以外のあらゆる分野の門外漢である」という意味で、象を撫でる群盲の一人でしかないということを、常に自覚しないといかんのだけど、自分の専門性に自信がある人ほど他分野も支配理解できると思い上がってしまう。」
例えば、秋葉原とかアニメとか漫画とか同人イベントとか聖地巡礼とか初音ミクといったものがニュースという形になった時、大なり小なり覚える違和感みたいなものを、個人的な或いは社会的なニュースの当事者達もきっと感じるだろうと想像する。公約数みたいにパッケージされて報じられるのは仕方がないのだろうけれど、その加工作業と引き換えにノイズが混じるのもこれまた仕方がない。この手の臆病で健全な猜疑心を何と呼ぶのだったかな、盗人にも三分の理?

河豚のフライは熱々の所にレモンと塩で、と再確認。

「おじさんにウケる物語の基本は
有力者「頼む!君の才能が必要なんだ!」
主人公「しょうがないにゃあ…」
って」