「若者たちはオンラインの世界をヴェルサイユ宮殿社交界のように思っているのです。一日でも顔を出さないと不利になる」

「婚活、いっそ互いの本棚の写真を見せ合ってマッチングさせればいいのでは。」

ニホンザルにはセックスによる繋がりから始まって、時を経ると共にセックスなしでも一緒にいるようになる関係があるそうなので、「男女の友情って本当にあるの?」っていうあのうるさげな悩みの参考にすると良いと思います」

「国語のテストで考えるのは作者の気持ちじゃなくて出題者の気持ちだって林先生が言ってた」

若い女性の「出会いがない」は、自分の希望のランクに合った男性が目の前に現れないって願望よね。」

「寿司屋は技術料+目利き代
 ラーメン屋は研究開発費」

「「女として育てられた女装少年が自分が男だとは気づかないまま性欲に目覚めてしまい、いつも添い寝していたお姫様とレズプレイしてるつもりがそのうちに性行為するようになっていて姫を妊娠させてしまう」 とか平安時代のセンスすごすぎる」

もう少しある分は後日へ。

卒園式に向かう親子を見つつ、色々あって、佐倉市立美術館国立美術館巡回展「第一部 西洋への憧れ 個のめざめ 近代西洋画の東西」「第二部 浅井忠と京都の弟子だち」まで足を運ぶ。前に一度行った時は……金属加工の時だったかな? アニメ化放送中の『弱虫ペダル』の舞台という関係で、スタンプラリーのブースが用意されていた。それはさておき、浅井忠は幕末生まれの画家で、「巴里風俗」だったか、売り子の前で大きめの籠を腕に男性が身を乗り出している絵はなかなか良かった。明治中期でも、今なら小説の挿絵に持ち出されても違和感の無いような風景画は数多くあったのが印象的。これが昭和、戦後になってくると、前衛的というか個性的というか、2つと同じ物の無いような絵が混ざってくるといった展示内容。

その後、卒業式の帰りらしき親子とすれ違いつつ、数年ぶりのトンカツ屋で昼食を済ませる。自転車乗りの格好をした客がいたのは『弱虫ペダル』の影響だろうか。ドギーバッグが用意されていて、後から考えるともっと残せば良かった。後知恵。

春一番に当たりながら出歩いたのが祟ったのか、夕方辺りから体調を崩して早々に寝込む。一度戻してスッキリ。

「幸せな記憶は、反芻できるうちはもう一度経験しているのと同じだから。」