「画面に、数年前の、今よりいくらか幼い輪郭をしたあなたが、今よりはざっくりとした髪型で笑っている。その笑顔のかたちだとか、笑って、そこからきょとんとしてみせると目元、拗ねてから眇めたら、次には関心深げな目が、開いて、猫目のようにまるまると二つ並んで、百面相の、まさに変わりなくあなただった。
あなたが笑っていることより嬉しいことなんてほんとにないのだ。」

「稽古やらは多分でなくつらいもので、でもあなたが満足の顔をなさっていて、舞台の、なんの効果でもなくただのあかりの照明に照らされたカーテンコールの時間に、よく笑っているのが嬉しいね。
あなたの芝居と、あなたが見せるよろこびのためだけに生きている。幸せだ。俺の人生はあなたが笑っているのを観られるだけで最高にできのいい人生だ。」

「親にゲーム禁止されてたからわかるけど、子供は親がいる間はゲームできないなら親がいない間はずっとゲームやる子供になるよ。」

「「大人」とは想像上の生き物であって実在しない。」

もう少しある分は後日へ。

書留で届いた国技館の入場券に拠ると、錣山部屋特性のカレーちゃんこに長蛇の列が出来ていたそうで、あそこのちゃんこは元パティシエの特製だったかな? 午前8時20分に札止め、満員御礼の日は、以前に何度か見掛けた国技館とはまるで違った様相を呈するものらしい。

某所より。
「そういえば先日、年下のプランナーと話してて「世界観としては"うる星やつら"みたいなコミカルでなんでもありのハーレムもので――」という表現をしたら「うる星やつらってなんですか?ラノベですか?」と聞かれてアイエエエ!?みたいになった。人類がうる星やつらを知らない時代が来るなんてなあ。」
初代ガンダムが基礎教養ではなくなりつつあるという話題は以前に出て来たし、ヤマトも(2199の出来栄えはともかく)とうに基礎教養ではなくなっているだろう。鞍馬天狗月光仮面黄金バット、いずれはエヴァンゲリオンも過去のワンオブゼム。ただ思い出だけが美しい。

リア充の巣窟といわれる会社に前居たんだけど所謂リア充の人は別にコミュ力が高いというよりは、世間の大多数のマジョリティの人間と同質性を共有できてる故、コミュニケーションに払うコストが低くて、コミュ力が高く見えるだけという。立場や背景の違う人と対話できる力があるかというとそうでもない」