「某所で「本当に人をダメにしたいなら悪いちょっかいを出したり噂を流すのではなく、間違った行いをしても”あなたは悪くない。悪いのは貴方を理解しない周りの方”と常に対象の人を肯定し続けること」みたいな文を読んで震えてる」

エヴァ(あるいはヱヴァ)が、ファンが完全に納得する円満な大団円、オールOKなラストを迎えてしまうと、おれ達が長年こじらせ続けてきた大切な何かが終わってしまうから、永遠に、煮え切らないままでいてほしい。」

「「アーティスト」を「建築家」とか「左官屋」とか「歯医者」と同列にするからわけわかんなくなる。「アーティスト」は「愛妻家」とか「気分屋」とか「変り者」と同列の存在で、歯医者とアーティストは両立する。」

もう少しある分は後日へ。

某所より。
「何が嫌いかよりも何が好きかで自分を語れよ」
じゃなくて
「何が嫌いかよりも何が好きかで自分を語るよ」
ならば問題ないと思います。
マナーはそれを他人に強要した時に暴力に変わる。
笠原倫の『サンガース』最終巻、表紙折り返しの作者コメントを思い出す。
「火事場の馬鹿力ではないけれど、人類の是非を論じたW浅野と無のやりとりは全て即興で、ひねり出したものです。時間がたつにつれ、それは自分の信念になりつつあります。すなわち『強制的なものだけが悪だ』ということです。」
作品データベースの感想も時々読み返したくなる。
「Mとの戦いの果てに崇とW浅野が辿りつく答えは、もっと早く、広く読まれるべきだったのかもしれない。
寄生獣」の問いが「人間とは何か」であったなら、本作の問いは「人間はどうあるべきか」だろう。本作は「寄生獣」に比べれば圧倒的にマイナーだが、90年代に問われ、今も問われ続ける哲学的命題に、作者なりの解答を示した作品。アクの強さ、泥臭さはあるものの、バトル物の娯楽とギャグの中の強いメッセージは、一読以上の価値がある。
人間不信に陥った時に読み返したくなる傑作だ。」
あっと驚く『どげせん』での復活劇だったけど、昔の漫画が色々と懐かしい。

「僕が高校生のころ、当時サターンで発売予定だったスパロボFに登場するから、っていうだけでイデオンを一通り見て、「これ、俺が生まれたあたりの(15年前の)作品なんだよな。古いよなぁ」と思ったもんだけど、今の高校生にとってエヴァがそんな感じで、ガンダムは遥か昔の古代なんだよなぁとか。」