「「結婚できない人をゼロに」という広告を見て「消される」と思った」

「子供の頃某パンに異物が混入してたことがある。母に言うと母がお店の人に持っていき交換返金等の対応をしてくれた。そのあと母に言われたのは「このことを友達とかに言っちゃダメよ。お店に迷惑かかるからね。お店の人も謝ってくれたからね」ということ。そういうこと言う親って減ったのかな。」

「年配の男性が使う一人称「あたし」と、語尾「〜かしら」の使い手の名手と言えば岸部一徳なのだが、かれのような洒落っけのあるキャラクターでなくたって、日本文学で男性作家は昔から「〜かしら」を使ってきたし私は好きなのだけど、このニュアンスが20代以降の若人に全く通じない事があって困る。」

「最近のミリタリージャンルは兵站つぶしがまったく意外性の伴わない「やって当然の戦術」になってきていて慄く。」

もう少しある分は後日へ。

青葉の森公園で梅が三分咲きという話題を見掛けて、そう言えば去年だったか、宅配便の配送センターまで返品の届け物をした道すがら、坂道に梅があったのを思い出した。思い出してしまったので、久しぶりに誉田の方まで行ってみたものの、残念、紅梅はまだ咲き始めたばかりだった。あと半月くらい経ったら見頃になるだろうか。

そのついでに土気のブックオフに立ち寄ってみると、復刻版の『送り雛は瑠璃色の』が並んでいて、手に取って奥付を眺めてみたら「2003年初版・2013年第2版」とあった。うひゃあ、10年越しに再版が掛かったのか。でも文庫本の方が味があるかな。

かつて1回だけ、千葉南病院までkを送ったのは覚えているし、おそらく帰りも一緒だったと思うのだけれど、滞在時間は別行動だった筈で、その時間をどうやって過ごしたのかは全く覚えていない。まだ周囲にコンビニも建っていなかっただろうし、売店でも見ていたのか、周囲を散歩でもしていたのか……。

「クソ田舎の文化的な不毛さに苛立ちつつ、深夜の勉強部屋で孤独にラジオを聴いていた少年時代。「どこかでみんなも聴いている」と夢想した。

インターネット、とりわけTwitterによって、あの共同幻想は具現化・可視化されたけれど、同時に脱魔術化されてしまった。あの日のロマンは、テクノロジーの残酷な光に照らされて、溶け落ちてしまった。

そして、自分が本当に愛していたのは、ロマンのほうじゃなくて孤独のほうだと気づいた。」