「分かり合えない相手との交渉に対して「敬意」という概念を用いる発想が好きです。「敬意」には親近感や友愛という含意はありません。論語に「鬼神は敬してこれを遠ざく」とあるように、「適切な距離を保つ」というニュアンスがあるだけです。

近づき過ぎるでもなく離れるでもなく。敬語がいい例ですね。」

「学校も職場も家庭でも、無理に分かり合う必要はないんですよね。お互いの真意を受け入れ合い、あらゆることを認め合うなんてハードルが高すぎる。それよりどんな相手であっても、とりあえず共同体を維持できることのほうがよほど大切です。だからこそ親近感も友愛も必要ない「敬意」が大事なんですね。」

「最近のアニメユーザーの能動的な女性キャラが失敗したときの叩きがほんとひどくて、対応策はまどマギのさやかみたいに初期パラメーターで不幸を背負わせた上で失敗させるしかなく、物語の自由度が大きく下がってんなあと思う。ここ2年くらいで萌え系のハーレクイーン化が大きく進んでる気がする。」

もう少しある分は後日へ。

NHK-FM青春アドベンチャーの野崎まど原作『know 〜知っている』、最終回。ラジオドラマなので解説役が喋り倒すのは已む無しとして、えー、あれー、そこでそういう風に終わっちゃうのーと首を傾げていたら、どうも原作とは違った終わり方に仕立てられたらしい。まあ、そうでしょうねえ。終わらせ方の余韻は、あー、スティーブン・キング原作の映画『バーチャル・ウォーズ』とか笹本祐一の『RIO』が幾らかは近かった、かな? 電話がring ring、世界中にドーン。そのうち原作小説の最後2頁くらいを読んでみよう。

某所より。
「随分前に終わったアニメのキャラの絵を今でもずーっと描いている人を見てると、ホントに好きなんだなぁとつくづく思います。そのアニメが世間一般的にはやや評価が低くても、ホントに好きで描いてる絵だから、見てると「うん…あのアニメ、面白かったよね」と良い所だけ思い出せたりしますし。」
1クール毎に花から花へとアニメを渡り歩くのも勿論楽しい。でも、気力体力時の運に恵まれ続けるとも限らないので、安住の地に落ち着いて手の届く範囲を愛で続けるのも勿論楽しい。

「「ブレない」なんてのは美徳じゃないですよ。気が変わったらやめりゃいいんですよ。「ブレる自分は自分らしくない」みたいなのは妄想、呪いの類じゃないかね。」