「『Zガンダム』という作品を、私はずっと『ガンダム』のような作品として受け取ってしまって、だからこそ楽しめなかったのだと思います。劇場版で分かりやすくなったように、『Zガンダム』は『ガンダム』とは全く違うことをやろうとした作品だったと思うのです。
 「アムロ・レイの再来だ」「アムロ・レイの再来だ」ともてはやされたカミーユ・ビダンアムロ・レイにはなれなかったように、『Zガンダム』は「『ガンダム』の続編だ」「『ガンダム』の続編だ」ともてはやされながら『ガンダム』のようにはなれなかった人達を描いていた作品だったのかなと。似通っているシーンやキャラ配置は、むしろその二つの差異が分かりやすくなるために描かれていたんじゃないかなと。


 それが分かって、今回劇場版を観てみて本当に良かったです。
 テレビ版から20周年で作られた劇場版を10年後に観て、今更ですけど(笑)。

 『Zガンダム』という作品がどういうものだったのか、ようやく分かった気がしました。」

「「小説化になろう」の異世界転移や異世界転生の中に「モテ」のパターンとして、現代基準で女性に「普通に」接したら、男尊女卑の社会の中で「すごく優しい男性」「性別に拘らずに実力を認めてくれる男性」としてモテるっていう展開がオタク男性達の気持ちをよく表している気がするんですよね。」

DQNの方がモテる!と言っている男性が、じゃモテるために実際にDQNと同じ行動を取るかというと、まずその行動をしないであろう辺りにこの問題の焦点があるのではないか。」

「「失敗しないと自信はつかない」のに、「自信を守るために失敗したくない」人が多すぎ、というのは納得。傷付けてくる奴に対しては全力で怒ったり抵抗していいけど、(傷付かずに生きることなんて不可能なのに)傷付くこと自体を悪として「無菌状態こそ理想」みたいな風潮は感じる。」

「女性の言う「ただしイケメンに限る」は「ただし自分が惚れた男性に限る」という意味だし、男性の言う「ただしイケメンに限る」は「どうせ俺じゃだめなんでしょ」の意訳であって、誰もイケメンそのものについては何も語ってない当て馬感がすごいからイケメンかわいそう。」

「他人を利用する事しか考えてない人間に安息の地は無い」

「正解を言わなくなったら、愛されるようになる――ここにコミュニケーションの真髄があります。」

「イライラの原因を追究すると大体嫉妬に行き着くし、それを認めちゃうとだいぶ楽になりますね。」

「「俺より物知ってる奴はやっかいな老害、俺より物知らない奴は薄いにわか」みたいなのやめろ。」

「他人と喋るというのは時計の時刻合わせに似て、喋らないでいると自分の時刻を見て自分の時刻に合わせるしかしていないので、どんどん時刻が狂ってくる。あと、狂った人とばかり喋っていると自分も似たように狂ってくるんだと思う。満遍なく人と喋って、いい感じに合わせた時刻がたぶん常識と呼ばれる。」

「(SHIROBAKO
余談ですが第21話でずかちゃんがザ・ボーン社長に宮森から声優だと紹介されなかった事が第22話の杉江さんの「わずかな自意識過剰やつまらない遠慮のせいでチャンスを取りこぼしてきたのを何度も見た」の伏線だと思われているみたいですけど、むしろあの居酒屋のシーンの伏線は第14話の音響監督の「政治的なキャスティングは必ずバレます。そしてそれは断言しますが作品にプラスになることはない。絶対に。」の方じゃないでしょうか。」

「艦これをライダー春映画として認識できた人とそれ以外の間でだいぶ格差が生じている気がする」

「怨みを抱く人は幸せそうにしてる人を踏みにじりたいんですよ。
怨念で拗れた人はそうでない人から奪い取りたいんですよ。」

「ヒトは自分がほしい物を持っている人をけなす。けなすことで、欲しくてたまらないものが手にはいらない現状を正当化するわけです。するとモチベーションが下がって、かえって現状から抜け出せなくなる。まずは自分に素直になることから始めよう。」

「とにかく、自分の創作物の、トンチンカンな感想に対するアンサーをどうするか、がおれの課題だがこればかりは抑えようがない。なぜなら、おれはナメられているからだ。 ひと言だけ言えるのは、「小説を読むことは、元ネタ当てゲームじゃねえよ」ってコトです。」

「自己肯定感が持てるかどうかって、だいたいは、運良くいい人と出会えたかどうかだと思うんだよなー。親でも友達でも恋人でも。私にも、今の私があるのはこの人のおかげだ!って人が何人かいるし。」

「「自信が持てません」というのは、どうも「自分が傷つかないようにするにはどうしたらいいですか」という悩みにも思えます。」

「素直なことは新人最強の武器なんだよな」

「安全運転に必要なマインドは、「周囲の車の運転手は全員頭がイカれている」と想定する慎重さをベースとしながら、合流や車線変更の時だけは「こいつらだって俺の車と事故りたくはないはずだ」と強気の思考に切り替えられる大胆さである。」

Twitterしてると人間がいかに「憎い敵を作って正義の心で攻撃する」のが好きかわかるよな。こういうのを助長したのがガンダム他ヒーローアニメじゃないかと考えた富野監督が「明確な憎い敵」をあえて作らず楽しさを残しながら作ったのがGレコ、これがガンダムを倒すという事だと今は理解してる」

クロスアンジュってエロゲ原作アニメみたいだという意見もあったけど、最終回は「自分だけがヒロインを幸せにできる」的なエロゲの傲慢な主人公特有の男性性や男根主義がヒロイン達によってバッキバキに粉砕されるラストだったわけで、だからこそ痛快であると同時に色々考えさせられるわけですよ……」

「ネットはヘビのしっぽを拾ってきて「ドラゴンを退治した!俺がドラゴンを退治したぞ!」とドヤ顔するところなので簡単に鵜呑みにしてはいけない。」

「すべての選択は常に正解なのです。艦これを一話切りするのも,最後まで見てボロクソに言うのも,最後まで見ても「まあ俺は好きだよ」と言うのも,すべて正解の選択なのです。 #crossange」

「高2のとき、スカートがどんどん短くなって髪色やお化粧も派手になって、女の先生に「あなたたちは今、生きてるだけでチャーミングなんだからそんなことしなくていいのよ」ってたしなめられたの未だに覚えてる。高校の友達で集まると「今あれ言われたいよ…」って泣き出す子とかいる。」

ファフナー、やはり大人が必死というか、主人公の家族がそのまんま組織の構成員としてあれこれ手をつくしている姿に「良い大人」を幻視できてしまうんだよな。そのせいで子どもがとんでもない目に遭う光景が余計に悲惨に映るのはもはや設計の勝利としか言えない」

「俺から見たGレコは「コイツを倒せば解決だという奴は居ない」という複雑な「優等生でも生きづらい」状況の中で、それでも腐らない。腐った人もそれが絶対悪とは提示しない。みたいな感じに見えた。あと大人のパターンが各種あるのは若者向けとしていいなと思った。」

「何度でもずっと「ゲームを面白いと期待して買う」という事は、とても特異な天性の才能で。大体の人は一度失望したら経験則として次のゲーム購入時の期待値に響くし、そうでない人達はマニアとしての暗黒面に堕ちて「つまらないから好き」とか狂気に走る。」

「知識だけあって、現場経験の無い人は、現実に目を向けず、自分の知っている世界の中だけで物事を判断しようとする。そしてわからないことは直ぐに蓋をし、破棄しようとする。恐ろしい。」

「人の話は素直に聞く。まずは聞く。納得できないときは家に帰ってから「いやー、やっぱり納得できねぇな」って言えばいい。」

「僕は根が90年代糞オタクなのでボクっ娘女盗賊と潜入した古代遺跡で罠に嵌まって「オメェの持ってくる話はいつも裏があるんだよ!」「うるっさいなぁ! そんなに言うならもうコンビ解消だよ!」「上等だ! だが話はここから脱出してからだ…」「そ、そうだね…」みたいなキモいやりとりしたいです。」

「人生をつまらなくするのは簡単だ。結果や報酬を目的として生きればいい。」

「人は誰しも,他人が先に/能動的に自分(たち)を攻撃し,自分はただ「当然の反応」をしただけだと信ずるものだ.知っていて悪をなすことはできない.悪いのはいつだって他人なのである.何なら「他人」を「作品」に置き換えてもらってもいい.」

「ネットで実名出すって10年前の感覚だと正気の沙汰じゃないよね」

「帰宅途中で猛烈に膨れ上がる便意って人を信仰深くさせると思う」

「(ハマーン・カーン
>世が世ならチョコパフェとかイケメンとかマジで夢中になれる年頃
周りに強制されて大人ごっこしてる少女と見ると業が深すぎる」

「「学校を出るときに適当な石を拾っておきなさい。何事もなく家についたら捨てればいいんだから」#教師に言われた衝撃的な言葉 高校の周囲で痴漢被害が続発したときの担任(ベテラン女性)のお言葉。「自分より弱い存在を狙う者に容赦はいりません」先生、貴女の教えは今も心に残ってます。」

「80年代ラスボス「世界をこの私が征服するのだ!」
 90年代ラスボス「世界とかクソだから一度ぶち壊して再建するのだ!」
 00年代ラスボス「だったら何故私が愛した彼女は死ななければならなかった!!」
 10年代ラスボス「世界とかぶっちゃけどうでもいいんだよねぇ。僕が楽しければさぁ!!」

 80年代ライバル「勘違いするな。お前を倒すのはこの俺だ」
 90年代ライバル「……もう少し、お前と早く出会っていれば俺の人生も違っていたのかもな」
 00年代ライバル「お前は俺だ。だが、それ故に、相容れない!」
 10年代ライバル「悪いけど、本編よりも俺のスピンオフの方が売れてるから」

 っていうか、作品全体のテーマが 『勇者のサーガ』 『世界の危機』 『個人的な感情』 『等身大のリアル』 に切り替わってる感じがあるよね。
今のストーリーは読者にとってよりリアルな感覚とリアルな理想にシフトしてるんだ。
だから短絡的にヒロインにモテるし、基本的に主人公がやる気無い。」

「>いま昆虫の研究してる人は大半がアマチュアだと聞いた
害虫系は農薬の対象としてある程度は研究されるけど
産業昆虫で研究して金になるのは蚕だけ
ハチ・カイガラムシならワンチャンあるかな?程度
それ以外の昆虫は何のために研究するか?と聞かれたらほんとうに「趣味?」としか言いようがない
だから研究費が回ってこないから学者として生きていくことが不可能
害虫やりながらついでに・・・っていう人は希にいるが本気で詳しいのはほぼ間違いなくアマよ」

「昔サバゲーをやったときに、包帯をキルマークにして、やられるとセィフティゾーンに行き、そこで頭や身体に包帯を巻いて、五分待機してから戦線に復帰する。というルールでやったことがあるが、中盤になると、負傷兵だらけの末期戦になり、後半はゾンビウォーズの様相になった。」

「大人になるというのは長いものに巻かれる仕組みを理解することで、無自覚に巻かれて、お前も一緒に巻かれろって怒鳴るのは、大人の態度とは違う」

「出役やクリエイターが2ちゃんねるを見ないほうが良いと言われる理由のひとつもそれで、意識の高い2ちゃんの人たちに飽きられたり叩かれたりし始めたころにようやく大人数のライトユーザーに楽しみ方が伝わり始めるタイミングなので、コアファンを気にしすぎると本来の目的がブレてしまうため。」

「>フェストゥムと人類の戦いは幼年期卒業万歳な西洋SFそれでも人間でありたい和製SFの戦い
向こうは比較的人型が崩れることにも寛容だよね
スタトレスタウォ名作B級問わず人型から外れた種が人類と一緒に宇宙旅したり戦ったりしてる
日本は人間としての形が崩れることへの嫌悪が昔から強いね」

以上。

少しずつ少しずつ読んでいた『低俗霊狩り【完全版】其の三』を読み終える。予め知ってはいたものの、まだまだ続くのか。「この本をみろ!」(ARE)のシリーズだったかな、別の同人誌だったかな、「栗本薫の『魔剣』は(全4巻の予定だったけれど)2巻のあそこで終わったなら未完でも許す」みたいな書かれ方をして、それと並んで「奥瀬早紀の『低俗霊狩り』も2巻のあそこで終わったなら未完でも」みたいな書かれ方で、何しろインターバルが空いたものだから、ねえ。ともあれ、「自動人形」の続きが描かれた、読めた、めでたい。「待て、而して希望せよ」とはこの事か。

某所より。
「彼女に云わせれば
古今東西トニー・ハーケンに
勝る美形敵キャラは未だ尚登場していないそうなのです。」
嗚呼、愛って素晴らしい。何処でだったか、「『戦闘メカ ザブングル』オープニングテーマ「疾風ザブングル」は14秒までの流れが完璧だ」みたいなコメントを見掛けたけれど、『惑星ロボ ダンガードA』のエンディングテーマ「その名もタクマ宇宙パイロット」だって7秒までの流れは完璧だし、20秒までの盛り上がりときたら古今無双の域。

Window7のデスクトップではSleipnir4の更新設定をいじくって出さないようにしたので、Windows8のノートパソコンの方で更新が掛からないと更新に気付かないままという状態。4.4.3.4000になって、特に変化は感じない。

「ただ、なんというか、少年期に人は、できるだけ、高貴に生きようと思うべきだし、そう思わせるべき大人がいるべきだとは思う。」