「今の自分は本当の自分じゃないというのなら、それこそがそのままあなたの実力ですと答えましょう。むしろ生きてることに感謝するくらいじゃないといけません。」

「僕の友達には伊勢神宮で初詣をして「はやく金髪幼女になれますように」と真顔で言い放って周囲の人物を衝撃と笑撃で行動不能に陥れた人がいる。」

「昔面倒な人の相手をした事あるけど、こちらとしては「なるほど、それでいい。君はそこで、私はこっちで暮らそう。共に生きよう。会うのは止めよう。ヤックルもいないしな」って感じなのに向こうは「和睦(論破)の道はないのでしょうか」って言ってくる」

「ところで、メーテル語を使うととたんにツイートが女らしくなるわね。…でも、どうしてかしら…バーのヒゲのママ的な香りも漂うのよ同時に…」

「「難しいものです」という言葉は、無難にまとめたいときにすこぶる重宝。」

もう少しある分は後日へ。

某所より。
「「古典」もうっかりすると勘違いすることがある。
以前、30歳の受講生に「古典はどんなものを読んでるの?」とたずねたら「銀英伝」とこたえたんでたしなめかけて思いとどまった。30歳の彼の生まれる前から銀英伝はあったことに気づいた(^_^;)」
物心が付いてから触れるものと、一世代・ニ世代前が触れたものを直接聞かされるところまでは区別するとして、それより前となると丼勘定で『源氏物語』だろうが『坊っちゃん』だろうがカテゴリーは一緒という乱暴な気持ちになるのは分からないでもない。その理屈からいくと、10年後くらいには『新世紀エヴァンゲリオン』や『スレイヤーズ!』が古典扱いになってしまうのか。面白いな。今月だったか、NHKラジオの朝の番組「すっぴん!」で、アメリカン・ニューシネマを取り扱った時だったかな、「当時、ほんの30年くらい前の音楽をオールディーズ(だったかな?)と呼んでいたけど、それって懐メロにしては新しすぎないか」みたいな発言があったのを思い出した。古びてると感じられるほど出回ってる対象がちょうどそれぐらい前のもの、という事情があるかもしれない。今からソノラマ文庫コバルト文庫の初期・中期に触れるのだって簡単ではないけれど、秋元文庫となったらもう難易度が高過ぎるように。

「最近現実では乳袋まで行かなくても服に胸の膨らみのラインが出るくらいで十分に巨乳だと気づいてから世界が華やいで見えるようになったよ」