「最悪なのは、子どもは皆キラキラした才能を持っているという何の根拠もない予断の下に、全ての子は個性を発揮して輝くべきだといった愚にもつかない思い込みを子どもに押しつけることだ。ほとんどの子は人並みの才能しか(すなわち何の才能も)持っていない。(池田清彦)」

「日本で一番はずさないのは「息子の嫁にしたい」感じの女性像だからつまんなくて当然でもあるよなあ」

「派手ならいいというわけじゃないんだけど、国を代表する女優が凄い舞台にいるはずなのに、パンピーの結婚式二次会天女スタイル的なセンスからそう遠く離れてない感じが…悲しい…」

「ただ普通に年を取って相応の外見になったことを、劣化!劣化!とやけにはしゃいで言い立てる男たちが増えたな、と思う。」

「「今はネット含めて情報が溢れてるから自分に「合ってる」というものだけで満腹になるし、わざわざ頑張って「合わない」ものを咀嚼する努力はいらないと考える人が多い。」って、ほんと今エンタメの仕事していてこれにぶち当たる。味見もしてもらえない時代。」

もう少しある分は後日へ。

新しく買ったキュウリの中で、一番小さい苗の葉が虫に食われてしまった。ダンゴムシ、それからテントウ虫を縦に引き伸ばしたようなサイズの甲虫にやられたらしい。殺虫剤は無いので、他の餌をあてがえば葉への被害は減るかと落ち葉を撒き散らしてはみたけれど。

某所より。
「だから日常的に鍛えてもない人が、知識上の技術だけで体力/体格差をひっくり返して勝てる“護身術”なるものは存在しないのである。最強の護身術は「逃げる」「そもそも危ない人/場所に近づかない」。古来「名人に武勇伝なし」といって、「戦いの場」に出ちゃうことがそも失敗みたいなところがある。」
魔夜峰央の4コマ漫画が愉快な『マンハッタン英雄未満』では、ヒロインが護身術を習おうとしたら同様の事を言われて帰ってしまったエピソードがあったけれど、フィクションでは活劇があると映えるから……。生兵法は怪我の元、近寄らないのが最上。

葬儀の看板で見掛けた珍しそうな名字、卯里・備後・舌・亘。

「「俺楽しい、お前も一緒に楽しもうぜ」という人間の集まるコンテンツは長く栄えるが「俺が楽しんでるんだから邪魔するんじゃねぇ」という人間の集まるコンテンツは短命で悲惨な物となることがほとんど、これこそ「共感」と「共有」の決定的な違いである」