ダンまちって絵描きで例えると、主人公の底辺絵師が、憧れの美人の神絵師にやたら目をかけてもらって、隣の家のめっちゃ可愛い女の子にただで液タブ買ってもらったり、行きつけのファミレスの店員に惚れられたり、本読んで寝ただけでパース技能完璧に習得したりする話だよな
うわっすごい腹立ってきた」

「どこかで読んだ「もはや今では、涼宮ハルヒの憂鬱の序盤の「新型パソコン確保に奔走する」というのは過去の物語になった」というTweetは、読んだ時は「いやそんな」と思ったけど、まさしく事実だったのですなぁ」

「「表面上うまく取り繕っているだけで、心の底ではみんな漏れなく変態に違いない」と考えてしまうのは変態の悪い癖ですね」

もう少しある分は後日へ。

土砂崩れの名所が補強された跡を横目に宗吾霊堂の紫陽花を見てくる。入口付近に常駐の出店がある以外は祭りという気配も無く、椅子と画材を用意して写生していた人物が去年とは違った点か。それとも去年にも日付が違えばいたのかな。湿度と緑の割りには虫に悩まされる事もなく快適に歩き回れるのは素晴らしい。

某所より。
「言いかえれば、第三世代にとって、自らの愛するジャンルの発展や革新と自分の成長が軌を一にしていると信じられた幸福な期間があった。

 それは(多分に自分の感覚に拠って言えば)おそらく九〇年代のなかばから二〇〇〇年代なかばころまでだった。そしてその運動が(振りかえれば)ピークアウトするかしないかのさなかに投じられたのが『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品だったのである。」
雑誌で言えば「OUT」や「ファンロード」には発展があったかな、あったと思いたい。雑誌はインターネットの速度に対応できず衰退した。インターネットの次の媒体となると想像もつかないし、遠くない将来に代替されるとも思えないけれど、ネットは広大すぎるから、同時期の人同士でもコミュニティがすれ違ったためにジャンルやコンテンツで話が噛み合わない現象のようなものは起こるだろうな。情報格差は勿論、ネット地域差、ネット深度のような。

「うちの中学も普通にあったわホック外し男女の仲が良かったし
ガリ勉タイプの真面目系の娘と卒業式の後に二人で話した時に
私ブラ外すのやられた事ないんだそれがなんか心残り
って言われた後の空気は今でも忘れん」