「「高専は20歳のスク水が観れる場所」という昔聞いたフレーズが強烈すぎて他のイメージが全部消えた」

「起こりうるものは奇跡ではないというのならば、わたしは奇跡を見たことがない。だが魔法は見たことがあるし、これからもまた見るだろう。『放課後のプレアデス』とはそういうアニメではなかったか。」

「突然の来客が来たときのスマートな応対マニュアルとして「コート」着て「マフラー」巻いてからドアを開ける方法がある。

もし応対したくない客なら「今から外出するところなんだ。」と言えばいい。もし応対したい客なら「たった今帰宅したところなんだ。」と言えばいい。とても簡単。」

「本に書いてあった、「想像力を批判力が上回るとものすごいブレーキがかかって書けなくなる」ってほんとだなーと思った。

「批評ばっかしてると書けなくなるんだね気をつけよう。最近何かに文句つけること多くなった。」

もう少しある分は後日へ。

某所より。
「バブル景気(という言葉は1985年当時、まだなかったが)に浮かれる東京が、コンピューターに管理された架空都市であり、人気アイドルの時祭イヴまでもが、CGの作り出した虚像にすぎなかった……。アイデンティティーを奪われた省吾は、このいびつな世界に、どう落とし前をつけるのか? 落とし前など、つかないのだ。省吾はガーランドごと軍に叩きのめされ、無人の渋谷の街に、打ち棄てられる。こんな最悪の朝だというのに、美しい陽がのぼる。体中の傷、1つひとつに染みこむような朝の光。ツエをついて、省吾は渋谷の街をヨロヨロと歩き出す。完全な敗北。誰もが、こんな朝を迎えたことがあるはずだ。救いもない、慰めもない、ただ痛みしかない泥だらけの朝を。」
ジャンルとしてではなく、いきなりアメリカン・ニュー・シネマ調のエンディングがやってきたのは、太平洋を挟んでいたからだろうなあ。『ラスト・レター』も似たようなものか。この終わらせ方は、OVA界ではフォロワーが登場しなかった気がする。押井守関連のの『獣たちの夜』や『西武新宿戦線異常なし』では、いくらか近しい終わらせ方を感じるものの、どちからというと微量に混入された甘さが際立つ。

「数年後くらいの幼稚園や保育園で「凜」と言う女の子がたくさんいて、みんなが「あの子の親はどの凜ちゃんが好きでその名前にしたんだろう」と牽制し合っている未来が見える。」