「僕の中で魔法少女まどか☆マギカが「うん、面白いアニメだったね」以上のところに行かないのは、ほぼ同じテーマを正反対の方向に料理したRED GARDENがあまりに完璧すぎるからなのだ」

「この物語後半の伏線回収っぷりと、キャラ4人それぞれの丁寧な大団円っぷりはもうほんとすごい。で、最終的に4人は、自分たちを巻き込んだ代理戦争にも終止符を打つのだけど、こっちの戦いに対しての4人のスタンスは最後まで「こんなひどい事に自分たちを巻き込んだお前らを絶対許さない」だった」

「最終話は敵側のリーダー(子安武人)とヒロインたち4人が壮絶に罵りあうんですよ。で最後まで憎しみ合ったまま終わるんすよ。まどマギでは一人の少女が全てを一身に受けとめて赦して、悲劇の当事者全てを救ってあげたけど、「そんなの普通の女の子には無理」っていうのがレッドガーデンの結論だった」

RED GARDENのヒロイン達はあくまで、自分が失ってしまった日常と、そこにいた自分の愛する人たちにだけ等身大できっちり向き合って、自分に大切なものを確認して、それらに感謝と愛を伝えるというところを着地点にしていた。状況的には救いがないけど余韻はとてもすがすがしいラストだった。」

「おっさんになるに連れ、心の中で乙女的な部分が育ってゆく感覚がある」

「以前アニメファンの友人が「異世界から来た魔物に立ち向かう子供たち」みたいな話を見てるのを「警察は何してんだ」と言って沈黙させてしもうたことがある。その点のび太は鉄人兵団の地球侵攻時、警察や自衛隊に電話して相手にしてもらえず次のコマで自分が戦うことを決めた地獄から来たプロガンマン。」

以上。

某所より。
「創作活動をやっていて完全な「満足」を得てしまったらどうなるんだろうか・・・その後の人生はただ飯を糞に変換しながら死を待つだけの動物になってしまいそうだ」
泡坂妻夫の『亜愛一郎の転倒』に収録された「藁の猫」を思い出した。デビュー作の「DL2号機事件」と同じく、亜愛一郎が「思想を極端にまで押し進めて」いく事で犯人の動機と行動を想像していく顛末が鮮やか。ところで、作中では「完全な「満足」」を説明する場面で「ピアニスト、ロジャー スウェインの自伝」なる物が紹介されるけれど、試みに検索してみてもそれらしき人物は見当たらない。Roger Swainなる人物は、ウィキペディアに拠ると、アメリカの園芸番組の出演者だったらしい。閑話休題。「DL2号機事件」が収録されている『亜愛一郎の狼狽』は、ASAに貸し出した(と言うか、押し付けた、だったかな?)ものの引っ越しの際に何処かへ行ってしまった……のだったかな。今でも入手は比較的容易だし、逆に借りたままの物もあったような気が……。

「断捨離が流行した時に捨て方のコツを調べたら「これを捨てても同じものを手に入れなおすことができる、という自信があれば捨てられる」というようなことが書いてあって「なるほどなーオタクには無理だ」と納得した これと、同じものは、手に、入らないです、(絶版本の類が並んだ本棚を眺める)」