「昔、竹内義和氏が「日本で生の顔(或いは顔の一部)が露出したヒーローが人気薄なのは、ヒーローの非日常コスチュームの中に『顔』という日常が表れてしまっている事に違和感を感じるからだ」という旨の発言をしていて、これは割と真理の一端だと思っている」

「倉橋数子は、バリバリの学業エレベーターのトップでありながら、おそらくその本質は極めて「大衆」的なのだ。
 彼女の不幸はその本質的な大衆性でありのままに勝負できるほど、時代(『雑居時代』は1982年刊行)が追いついていなかった点にあるのである。」

「去年氷室冴子さんが亡くなってしまったので正統な続編を読む機会は永遠に失われてしまいましたが、主題自体は色々な最近のフィクションに受け継がれているとも思います。

 つまる所、圧倒的な努力で能力値を上げきった人間が、大衆を前にした時、どういう選択を取るべきなのか。」

「「幸せの総量は決まっていて誰かを不幸にすれば誰かが幸せになる」「我々が幸せになるためには敵を倒さねばならない」…そういう考え方は世の中を地獄化します。」

もう少しある分は後日へ。

kがまた来た。成田を回って宗吾霊堂を見てきたとかで、つきたての餅を持参。それでいながらハンガーノックがどうのこうの、コーヒーを飲んでリンゴを食べて、後は漬物とか適当に栄養補給。ちばき屋に立ち寄るのは容易だそうなので、そのうちお土産に期待しておく。

某所より。
「付き合いの長いネットの友人を2?3個前の古いハンドルネームで呼んで「懐かしい名だ……今となっては私をそう呼んでくれる者は少なくなってしまった」ってすこし寂しげに微笑みながら返してもらう遊びを思いついたのでみんなで遊んでください。」
遊び場所によって名前の使い分けをしていると、最早この世で1人か2人か3人からくらいしか呼ばれぬ名前の1つや2つ、あるいはもう少し。もちろん、逆に、呼びかける方の場合でも、今となっては唯一無二かもしれぬというケースが無きにしも非ず。そろそろまた新しい名前を使う場所を探してもいいかなあ。

「大人の社交術。「ご出身は?」と聞いて、どの県で答えてきても、「ああ!いいですよねぇ!ご飯が美味しそうで、行きたいんですよぉ」と言えばとりあえず相手はいい気分になる。追加で「特産…名物の…あれ…えーと」とか加えればなんかしら答えてくれるので「それ!食べたいですねー」で完璧。」