「一番手より二番手三番手の方がカッコいいと思いつつやっぱり最強にもなりたい微妙なお年頃」

もう少しある分は後日へ。

某所より。
サブカルの知識がめちゃくちゃ豊富であることに絶対の自信があったおたくが、就職してアニメやマンガ見れる時間も減り、興味も薄れていき、唯一絶対人より優れていたサブカルの知識すら人よりちょっと詳しいくらいになっていきアイデンティティがボロボロになる現象」
1989年の同人誌「この本をみろ!」(ARE)を引っ張り出してみる。第1号、懐かしい。記憶していた文章は「アニメGP……」の箇所で、以下、28頁より抜粋。
「そして、持って帰って歴代アニソンの集計をはじめた。これなんかはアニソンをたくさん知っている人間でないとはっきりいってできない。私の場合は今あるアニソンのうちの半分ぐらいしか歌えないし、一割程度は聴いたことすらないものがあるわけである。(それでも多い方だという話もあるが)」
この話の顛末は同サークルの「アニメソングマガジン」に結実した訳だけど、それはさておき、2016年現在でアニソンの半分ぐらい歌える人材は、果たしてどれくらいいるのだろう。なにせ、毎年アニソンは増えていく。深夜アニメが始まってからは恐ろしいペースで増えていった。脳の容量には限りがあるし記憶力は低下する。もっとも、外部記憶装置としてインターネットが発達したから、個人の記憶に頼る必要は無くなった。時代は変わった。
「この本をみろ!」には「今、角川の青背が面白い/ヤング・アダルト」という記事もあって、この同人誌の中にはライトノベルという単語は登場しない。ウィキペディアで「ライトノベル」を見てみると……「「ライトノベル」の命名は、1990年初めにパソコン通信ニフティサーブの「SFファンタジー・フォーラム」において、それまでのSFやファンタジーから独立した会議室を、会議室のシスオペであった“神北恵太”が「ライトノベル」と名付けたことが始まりであるとされる。」。1989年の同人誌にその名称が登場しないのは、なるほどね。

「実は人が文章から読み取るのは、「何が書いてあるか」でなく「何が書きたいか」だと思う。しばしば情念の濃さは、情報の正確さに勝る。特に性愛が絡みでは。「ノクターン・ノベルズ」とか、正直文章が破綻してて何が書いてあるか分からないが、すごくエロいことはわかるという文章が少なからずある。」