ふのつく某所にて、古めのチャンピオン系漫画の話題で、「単行本化されていない伊藤清順の『ぶかつどう』」なるものを見掛けて、急に記憶の底から何かが湧き上がってきた。かなり前、おそらく月刊誌で読んだ漫画で、主人公は丸橋という風来坊だったような……と、適当なキーワードで検索。発見。
「『反逆の青き狼?』 伊藤清順 秋田書店

伊藤清順先生はこの『反逆の青き狼』シリーズをパート5まで執筆し、その後週チャンで『ぶかつどう』を、そして再び月チャンで『ヒッサツ!』を連載したまでは当方が記憶しています。」
これだ、間違いない。落下して着地の瞬間にジャンプすれば±0、劇画ギャグ、懐かしい。5作も続いていたとは知らなかった。転がり込んだ家の玄関で寝たり、光る泥団子を作ってみせたのは、いったいどの回だったのだろう? ああ、積年の疑問が解決されてスッキリした。こんなに嬉しいのは……「アクションHIP」で連載されていた森川久志の『大正柔術物語KASUMI』が判明した時以来になるか。以下、某所より。
「「部活もの」の名作「炎の転校生」における滝沢昇は、「仮面ライダー」的ノリの正統派ヒーローへのオマージュから造形されたと思う。そういう点で、ギャグっぽく描かれてはいるが立派なヒーローである。
しかし伊藤清順の描く主人公には、仮面ライダーよりさらに前、「多羅尾伴内」とかダンディーになってからの「明智小五郎」とか、アニメの黄金バットとか、「強い、絶対に強い!」という存在感、あるいは「弾丸(たま)は抜いておきましたよ」というカッコよさ、その存在や行動そのものが「正義」を体現していた頃の、晴れがましい絶対的ヒーローを思い起こさせる。
ちょっとヒーロー史について細かく突っ込まれると困るんだけど、1回転ヒネらないと「ヒーロー」が存在し得ない今日この頃、その立ち姿そのものが正義、そしてギャグを体現する主人公が描かれていることに、すがすがしさを感じる。

それが、私が感じる伊藤清順作品の魅力である。」
1994年頃かな、月刊漫画誌も結構追いかけていた。

「ということは、かわいそうと言ってくるひとが期待してるのはわたしが落ちこむことなんだな。好きなひとが落ちこむところはあんまりみたくないはずなので、かわいそうと言ってくるひとはわたしのことが好きじゃないひとなんだ。それならわざわざ期待に応えなくてもいいよな。笑ってやりすごそう。」