「昼間の銭湯の味を知ると、堅気の勤め人には、どうしてもなれない。たいていの男湯には、客はニ、三人しかいなくて、昼のあかるい光が、湯気のたちこめている大きな空間をやさしく満たしている。湯は清潔で、ふんだんにある。さしずめ西洋人なら、人影のない教会にいると、こんな気分になるのかもしれない。」

「かばうわけじゃないがスポーツ選手が変な博打に手を出しちゃうのは「勝負勘を磨く」みたいな話では実はなく、国家意志のレベルでさえ「絶対勝利」を厳しく求められる世界に生きてる中にあり、余りにもでかい「負ける楽しみ」を味わえるのが違法賭博だった、と見ることもできるんじゃないかとも思った。」

「一生食っていけるだけの蓄えがないと不安だとか,未来もずっと見通せてないと不安だとか贅沢なことを言い続けるのであれば,永遠に幸福は訪れない。」

「聞き慣れない言い方や読み方、言い回しを耳にした時に、根拠なく自分が慣れている言い方の方が正しいとか多数派だとか思ってしまう現象、なんか名前がある気がする。」

もう少しある分は後日へ。

こどもの日には不在だったそうだけど、みどりの日の方には広島から新幹線でパルコの近くの会場までボランティアに駆けつけた人がいたそうで、情熱って素晴らしい。そして、駅の近くで、ファミレスを抜きにして、少人数でゆっくり出来る店となると、うーん、見付けづらい。

某所より。
「聞いてアロエリーナちょっと言いにくいんだけど聞いてアロエリーナ 朝起きたら毎日枕元に5000円くらいノーリスクで置いてあって欲しいの 聞いてくれてありがとアロエリーナ」
かつて知恵の泉で見掛けた、アキレウス氏だったかな、「毎月50万円くらい口座に振り込んでくれるあしながおじさんみたいな人が欲しい」というコメントを思い出した。まあ、景気のいい時代のお話……巣鴨にある(最早、あった、と見なすべきかなあ)という穴子の美味しい寿司屋の話は今でも気になる。ある程度の自炊のできる人だったようで、「(オフで集まるような外食なら)費用対効果を考えず、自作できないような手の込んだメニューの出てくる店がいい。そのためならエンゲル係数が上がるのは目をつむる」といった旨の発言も覚えている。まあ、景気のいい時代のお話でした。

「本当に何かを楽しんでいる人たちは、必要以上にそれをアピールしないのだと痛感する。」