「むかし末広雅里さんが描かれた、いち女生徒がアイドル研やらパパラッチやらの暗躍により朝、登校するなりアイドルになり、昼休みには写真集、海賊版エロ写真集が出版されその日の放課後には一大ソロコンサートを経て観客を卒倒(魔声で)せしめたのち引退という蓬莱マンガを思い出すエレンベーカー事件」

「なぜ風俗レポートをする人の文章は素晴らしいのか。風俗に行ったら語彙力が上がるのだろうか。」

「前にツイッターで見た「めちゃくちゃ頼んだらヤらせてくれそうなキャラの隣には、相手を殺してまでもそれを阻止しようとするキャラが必ずついてる」っていうの心から納得でしかない」

ジリオン玩具の銃はテレビのリモコンで代用できる(電源ボタンをトリガーに赤外線を胸のターゲットに向けて打てばダメージが入る)という話が大変に印象深い。」

「「人工知能が経済をすべて回して、人間はベーシック・インカムで好きなように生きる」という未来提案、大雑把には現在の人と猫の関係に近い。」

もう少しある分は後日へ。

BZから再び転居を匂わせるメール。6月後半になったら遊びに来られたしとあるので、慣例に従って麻雀牌でも手土産に持っていくか、それともコミティアで見掛けた南北戦争の同人誌を購入しておくべきだったか。

少女小説の中興の祖である氷室冴子(1957-2008)と新井素子(1960-)を評して、前者は「ヒマラヤの高地に咲くという、伝説の青いケシ」、後者は「タンポポ」と言ったのは久美沙織だった。

氷室の作風は高嶺の花で、新井は身近で、という喩えだけれど、わたしにとって身近なのはむしろ氷室先生のほうだった。なんとなれば氷室作品は理知的で、抑制が利いていて、得体のしれないところ、というのが全くない。それは「男子にとって女子は理解不能な生き物」という例のテーゼの下に描かれた「海が聞こえる」ですらそうだ。全てが論理的で、精緻に組み立てられた作品世界。
一方で新井作品は、きゃぴきゃぴしてるというイメージとは裏腹に、底知れない闇を感じる。「ひとめあなたに…」はその典型だけれど、「星へ行く船」でも自身の身体欠損にまるで動じない主人公にぞっとした。前述した「男子にとって女子は理解不能な生き物」というのを実感させられる。だから、新井素子少女小説家でもライトノベル作家でもSF作家でもなくホラー小説家、というのがわたしの認識だったりする。」