「創作行為において、「パクリ」は単なる技術上の問題にすぎず、根本問題は上手か下手かという点に尽きるわけだが、「影響」と言うと、良いものであれ悪いものであれ、精神の深部に回復不能の傷を負った事件をそう呼びたい。牛や馬に焼き鏝を当てるような事件、虎の縞は洗っても落ちない状態。」

「>21世紀への根拠の無い憧れは呑気で良かった…
それには1999年世界は終わる的な前提を話せねばならん」

ゲーム脳の一番の弊害は「相手も合理的な判断をするはずだと錯誤することである」って誰か言ってたな。」

「自由であること、幼くあろうとすること。この二つが合わさると、ラノベさながらの乱痴気騒ぎが生まれる。泣くにしても笑うにしても、彼らの感情は常に乱高下してて、とても忙しい。そんな狂騒を、竹宮ゆゆこの常に酔っ払っているような、卑近で猥雑で、でも所々妙にブンガクしてる文章が、活き活きと描き出す。まずはその圧倒的な膂力による筆致に振り回されるだけで楽しい。」

もう少しある分は後日へ。

狂戦士しょーちゃんから『ジョーカー・ゲーム』を楽しんでいる旨のメール。『ジョーカー・ゲーム』が楽しめるなら、『閃光のナイトレイド』も(全話は厳しいとして)半分か半分の半分くらいは行けそうな気がする。今期は5作品くらいを追いかけているそうだけど、他はどれを楽しんでいるのかな。

柳広司の『楽園の蝶』、いつまでもD機関が登場しなくて収まりのつかないまま流されていって終了、みたいか感覚に捕らわれた。某所で、「長編のコツは、いくつかのストーリーを並行して走らせて、どれか1つでも決着させておけばいい」(大意)というのを見掛けて、確かに『楽園の蝶』はそのシステムに沿っているのだけれど、妙に座りが悪いのは何故なのか。主人公が問題を自覚して解決に至らなかった、からかなあ。虚飾の満州、虚栄の満洲映画協会、何もかもが見掛けとは異なっていた、という舞台は素敵なだけに、もったいない感じ。

名古屋から紛失の件で気を使いすぎて却って詐欺みたいにも見える文面のメールが届く。遠隔操作でロック掛けて回線停止にして、問題はそこからどうなるか。

「>オタならもっと積極的に行動しときゃよかった
オタクでなくても自分自身で飛び込んで体験したことは後でいろいろ役に立つよね
知識と経験のどちらかでなく両方持つのってすごくいいことだと思う」