「他人の幻想や理想を背負う決意こそがヒーローの条件みたいな話なー」

「いつだったか、雨宿りしてたら「大丈夫、おじさんは耐水性なので」と傘を差し出して去ったおじさんが居た。わたしもこんなクールなおじさんになりたいと思ったら、調理実習で火傷して「あたし耐熱性だから平気」と呟いた子の家に遊びに行ったらそのおじさんが居て親子の血を感じた事を思い出した」

「上でも下でも、自分がおかしいと思う・わからない・ジェネレーションギャップを感じる発言をしている他人がいる…ということは、向こうから見られている自分もそうである(その世代や時代のことをおかしな認識をしておかしなことを言っている)可能性が高いのだよな。」

クロスアンジュなぁ面白いの面白いんだけど人に勧めづらいよな  最高の素材を名料理人がおいしく調理したけどよりによって器が女体盛りだったみたいな気まずさがある」

「善意のみで突っ走った人よりも、悪賢く立ちまわった人物のほうが、結局は人間世界にとって良い結果をもたらしたという例は枚挙にいとまがありません」

もう少しある分は後日へ。

プランターのキュウリ、もしかしたら強風が吹く度に弱っていってるのかな。対処の仕様がない。

某所より。
「ところで萌やし泣きの多くは幸福8割、不幸2割程度の文量配分で構成される(※数字は筆者の体感であり、根拠はない)。これを反転し、幸福を2割以下、不幸を8割以上にするとどうなるか。
鬱ゲーである。」
一部の愛好家から高く高く評価されている、いわゆる電波ゲーも、広い意味ではこの「鬱ゲー」に含まれるのだろう。それから、一部の不幸が突出しているために、幸福パートの描写が多いにも拘らず「鬱ゲー」と見なされる『グリーングリーン』みたいなケースも。刺激を、もっと刺激を、と際限なく求めるようになったら、やがてバランスが崩壊するのはどの分野でもよくあること。食べ過ぎ飲み過ぎが良くないように、プレイのし過ぎという悪影響があるものの、夢中でいる間はこれがなかなか避けられなくて。

「人間は本当に3ヶ月つきあう甲斐のある展開になるかどうかも保証されない新作アニメより確実に面白いと知っているor面白かったとの声が多い旧作アニメのほうを熱心に追いかけるものだ、という恐ろしい仮説を実証するためAbemaTVは新作アニメチャンネルを我々の喉元に突き付けているのだ。」