「ソウルで活躍するメイクアップアーティストの方の話を聞く機会があった。その中で参加者から「すっぴんとメイク後、どちらがご自分の本来の顔だと思いますか?」という質問が出て、僕は内心「すっぴんに決まってるやん」と思ったのだけど、その方がキッパリ「メイク後」と即答して僕の中で革命が起きた

これは本当に目からウロコどころか眼球ごと落ちるぐらいの価値観のクライシスで、さらに参加者の女性が一様に頷いているのを見て「そうか彼女たちの本当の顔はここではなく脳内にあって、メイクと言うのはそれを取り戻すための冒険なのか」ということに気づき、だからこそコスメに真剣なのだと悟った。

日々鏡の前で戦っているのですね。」

もう少しある分は後日へ。

名古屋がSkypeねえ。

某所より。
「思春期の頃、娯楽作品は単なる気晴らしではなくもっと切実なもの、未知なる世界への入り口にして、自分の未熟な精神を離れ物事を自在に俯瞰する視点を得るために不可欠な「精神の飛翔具」だったと思う。その後世界は徐々に「当たり前」の存在になり、日常が続く限り「俯瞰」の必要もなくなっていた。」
今は無き……もとい、検索してみたらgeocitiesでトップページのみ残っているらしき、日本アニメ党の週刊アニメ感想から『ヴァンドレッド』第6話「What a Wonderful World」より。
「ここで"What a Wonderful World" なのである。"Wonder"とは、「驚くべき事」と言う意味の英単語である。"Wonderful"と言うのは、驚くべき事に溢れた、と言う事を意味し、それが則ち「素晴らしい」と言う意味になるのである。そう、驚くべき事とは何だ?それは、新しい知覚である。これまでにない認識である、そう言うモノに触れた時、人は驚くのである。そう言う、新しい知覚刺激に溢れた世界、この世界は、
「なんと素晴らしいのだろう!」
 この意識は、洋の東西を問わず、共通しているのである。変化し、変わりゆく事は、素晴らしい事である。新しいことを知り、変わる自分がいる、そういう世界との、環境との関連性無くして、自分は存在しない。」
慣れるとか、飽きるとか、忘れるとか、心は一定を保てない。だからこそ、新しい知覚に触れた喜びも。

足が戻ってきたので、珈琲豆を投函するとか、シーボルト展を見るとか、台風5号が接近する前に動き回ろう。

「なにせ生きるのは初めてなんだ」