「運命の相手なんていないんですよ。ただ「運命の相手がいるはずだ」という感覚だけがある(これはもっているひとともっていないひとがいる)。そこから遡行的に見いだされるファンタジーセカイ系の本質です。」

シン・ゴジラ「我々は今まで 庵野秀明といういう極上ウイスキーの 薄い水割りを飲まされ続けてきた」 君の名は。「我々は今まで 新海誠というカルピスの原液を飲まされ続けてきた」

「飛行機開発も鳥にならって「羽ばたき」によって飛ぼうとしたけどことごとく失敗して、そのへん諦めて固定翼にしたらうまくいったし、なんかそのまま進化しちゃって今では500人を乗せて音と同じくらいの速度で飛べるようになったから、最初は「人間みたいな」を目指してても別の方向に行く可能性ある」

「目指すべきは

上、ではなく、奥。」

もう少しある分は後日へ。

レオナール・フジタとモデルたち」を目当てに川村記念美術館へ……と、これは昨日の話。絵よりも画家の方が話題になる、と思っていたけれど、展示を眺めていったら良い絵も色々。生物学者とか角力とかモロッコでターバンの男たちとか、白い肌色の女性画よりも多色が鮮やかな男性画の方が面白い。モロッコのはインクと紙だけど。イベントの目玉として扱われていた「《アンナ・ド・ノアイユの肖像》 1926年」は、モデルと上手くいかずに未完成のままだとか。どうしてそれを前面に押し出してきたのか、その辺りが「レオナール・フジタとモデルたち」なのか。この日は疲れてからのカロリー補給。

連日は疲れると覚悟しつつ、学芸員によるギャラリートークを目当てに、今度は小雨の中を水田美術館へ。銚子にある円福寺の住職が集めたというコレクション、水墨画とか近代日本画で、地味というか落ち着いているというか、寺にふさわしい感じではある。走って息を切らせて到着した学芸員、30人あまりの聴衆を相手に、1時間ほどの力の入った解説。空気遠近法、近景は濃く、中景から遠景は薄く。この日は先に食事を済ませておいた。帰途、うろ覚えで野菜の無人販売所へたどり着くも、品は無し。

「10代で好きになってしまったものは、純粋な心に刺さったものだから、簡単にはぬぐえないよね。ある種信仰みたいなもんだし、人生の一部になるし、何度も書いているが、自分の過去を思うと、どうか若いうちに、良き本や映画、各種の作品などと出合って欲しいよねと。」