「ものすごく捻くれた見方をすれば、フィクションの流行が日常もの寄りになってきているのは、「幸福な日常」がファンタジーになりつつあることの証左なのかもしれない。働きがいのある職場、仲間との心温まる交流、等身大の恋、それらが「フィクションの中でしか味わえないもの」になっているとしたら。」

「まず大前提として、万人に好かれる作品は無い。だから作品に注目している層が狭いマイナーなうちはいいけど、有名になるにつれてその作品を好まない層にまで作品が知れ渡っていくことになる。アンチが生まれてからが一人前というのは、多分そういうことである。」

「ミュージシャン志望の田舎から東京に上京したけど何の成果も得れず無駄に年食うた友達が 東京は夢を追う事に対して大人達や周りの人が応援してくれるから何もしてないのに何かしてると思わせられてしまうから怖い 一種のトランス状態で調子乗ってたわ と語ってたのを思い出したぽよ…怖いなぁ」

ミンゴスが言ってたの思い出すなあ。背中がどーんと開いてるライブ衣装は別にサービスでもなんでもなくて、ああしてないと排熱できなくてフラフラになるって。生地が通気しないものも多いから。」

もう少しある分は後日へ。

風邪のたちが変わったようで、咳に苦しめられる。葛根湯と一緒に咳止めの麦門冬湯を買ってあったのを思い出したのは就寝前だった。

ふの付く某所より。
「だいたいのミュシャ本のわるいところ
ミュシャの残したカットがあまりに多いため網羅しようとして1ページに数点…小さくて見えません
・絵には最適の大きさがあります精緻なイラストを小さく単純なポスターを大きく載せないで…
・色が…まあ完璧な再現は無理だけどそれにしても酷い…ネットの高解像度画像もみんな色味違うけど
・もっとテーマごとに整理しよう…四季がモチーフの作品があちこちのページにバラバラに
・サラベルナールとのエピソードはもう結構です文字に何P割くんだよ!!
・描かれている文章の翻訳いい加減載せてください…」
スラブ叙事詩の全20作が来春に国立新美術館へ初来日だそうで、上野にまた長蛇の列が出来てしまうなあ。

「>何かこれで終わり?って変な終わり方する作品ディックにはあるよね…
高い城の男を視点人物が団結して最後に謎解きすると思って読んでた人のブログはちょっと面白かった
誰もその思い込み修正しないの」