「自分は興味の無い相手と何度もデートしようとは思わないのだけれども、「デートは常にしておかないと本当に落としたい相手が現れた時にうまく動けない。従って興味がない相手とでも機会があるならデートはした方が良い」という話を聞いて、「クソッ、これがモテの論理か…!」と思うなどした。」

「タグの「公式設定ではないということは重々承知しているがなぜか自分の妄想の中でデフォルトになってしまっている二次創作設定」、英語で「ヘッドキャノン」(頭の中の公式)と言うの、とても分かりやすいので浸透するといいなあ」

「怒りは外に向けられた悲しみであり、悲しみは内面化した怒りである。」

「「怒り」というのは、非常に簡単な娯楽だというのは今までも繰り返してきた通りで、まず素養が要らない。知識が要らない。練習が要らない。道具も要らないし人手も要らない。カラオケみたいに音程合わせる必要もない。しかも、「正義のため」なら後ろめたくない。」

「最近つくづく思うことは、わたしってほんとにやりたいことねえんだよなあ、ということ。世の中のほかの方々を見るにつけ、その才能いかんよりも「やりたいこととモチベーション」の量にあてられてへこんでしまう。」

もう少しある分は後日へ。

好天に恵まれた日曜日。開通したばかりの道を通って、ちーに児童書の続きと、それからビスコを届ける。自転車などを指差して所有格らしき発言。人見知りせず、どんぐり拾いに熱中。移動、コルトンプラザは久しぶりで、数年前にkや南と年始に訪れて以来だったか。中華料理店にてH叔父はコーラをダブルで注文。メニューでは麺を選べば大きく外すことは無いとか、肉と魚があったなら肉を選んだ方が無難で何故なら魚が川魚だった場合は独特と臭みを活かす方向に調理されている場合があるとか、中国での外食事情を聞き出す。人が集まったので、TOKYO BASEは良いとかフィリップスを押さえたとか協議離婚が成立したとか、色々な話題も飛び出してくる。顔の遺伝、笑い方の相似。宮廷プーアル茶と食事を堪能して解散。

「「おまえら、ピーマンが嫌いでも絶対に子どもの前で嫌いと言うなよ。子どもも必ずピーマンを嫌いになるからな。まずい、と言うなよ。口に合わないと言うんだ」と学生時代に教えてくれた教授がいて、それ以来、相手が大人であれ子どもであれ、「嫌い」の主張について慎重に考えるようになった。」