「そもそも「◯◯は終わった」って、何者にもなれない、始まってすらいない人間が口にするたわごとですよね。」

「>渋谷でかぼちゃ神輿が出てる!!
そうだよ、これだよ! こうなっちゃうのがニッポンだよ! 江戸時代に来日した宣教師が、主旨通りに教えが伝わらないって嘆いていた元だよ。なんでも受け入れるが日本流に変形されてしまう、島国特有のスピリッツ! あ〜状況は嘆かわしいが、民俗学的興奮!」

「「ラストシーン」は「エンド」ではない。そこからストーリーはさらに発展し、観客の胸の中で完結する。(松山善三)」

「でも惚れ込むってのは、愛するっていうのとはわけがちがうんだよ。憎みながらでも惚れ込むことはできるんだ。」

「問題は、フェアネスには魅力がないということかもしれない。フェアな人間だから好きになる、ということはない気がする。じっさい、家事負担を平等にしてくれる人だから好きになりました、結婚しました、という話を聞いたことが無い。」

「不思議を放置しないものだけに技術はおとずれる。」

「『学校以外にも世界はあるということ。』
思春期だった頃の自分は
これを知らなかった。」

もう少しある分は後日へ。

小説家になろうでも細々したアンケートの導入を試みる作者を見かけるけれど、即時対応として見せるやる夫シリーズの方がスピード感に勝るかな……、と、これは一昨日、故石井氏に寄せて。いずれ、揺り戻しが起こって、ゆっくり遊ぶ娯楽を楽しむようになる時期も訪れるのか、果たして。

P・シニアックというフランスのミステリー作家が書いた『ウサギ料理は殺しの味』、最初と最後と訳者あとがきを読んでおしまいに。原題の「FEMMES BLAFARDES」、Google翻訳では「淡い女性」、Yahoo翻訳では「さえない女性」、BingとExcite翻訳では「疲れた女性」となった。訳者あとがきでは「蒼白い女達」とある。主な登場人物の先頭にある「セヴラン・シャンフィエ 私立探偵、ただし作中でクビになる」という一文は独特で、ここは記憶に残りそう。

「ジャンルのことを思うなら知識をひけらかすのではなく、楽しんでる姿を見せること
知識自慢は自分が一瞬気持ち良くはなれるけど、はたから見てそんな敷居の高いジャンルに誰が惹かれるのだろうか
ならば、たとえ道化にやつしてでも「なんだかあそこ面白そうだ」と人に寄って来てもらえた方が百倍良い」