「ニッポン人はいい加減に「厳しく躾けると良い子になる」教から脱却しろよ。そういうのは「教育」ではなく「調教」という。恐怖による支配。それで身につくのは「強い者・偉い人に逆らうとひどい目に遭う」という教訓であり、それにより内なる憎悪と攻撃の対象が弱者に向かうようになるのは必然なのだ。」

「「女子会やります」って言う時に、いつも「いやもう女子っていう年齢でもないし…」という居心地の悪さを感じてたんですが、先日知人の「でも刑務所だって女子刑務所っていうんだからいいんじゃない?」という言葉にスッキリ。」

カップ麺、小さい頃一人で留守番する時に母ちゃんがお昼これ食べてっていうものだった。
いつもうるさい親がいない時間の自由を感じるものの象徴だった。
カップ麺はオレにとっていつまでも自由の味がする。」

「「?予測を促す前振り」は、観客に予測してもらわないといけないのだよな。だから、ふつうの人物描写などとは、少し文体が違うんだ。例えば、「実は、強かった」という話にしたいのであれば、「弱そうに見えた」というくだりを入れないといけない。だけど、アマ作家は、これを忘れるのだよな」

もう少しある分は後日へ。

昼前のEテレだったかな、「趣味どきっ!」の「中村獅童の いざ歌舞伎へ」を部分的に見ていたら、剣戟や女形の解説が面白かった。怪我をさせないようにだろう、相手の頭上へ向けて斜め上に突き上げる「突き」。背中合わせになって左右に袈裟斬りを見せる「霞」。殺陣にはそれぞれ名前が付いていて、演目の中でテロップを出しての復習が分かりやすい。女形は、正面を向いて立つのは姿勢良く映ってしまうので、斜めに構えて膝を曲げ、腕も畳んで小さく小さく、それを「盗む」と表現していた。正座する場合も、両足を離して間に尻を落とすようにして、「盗む」。再放送の4回目だったかな。

某所のランチの件で気になる店を調べてみると、先日利用した県庁の近くにあるホテルの隣みたいな位置だったので、勢いのままに宵のうちを突き進む。退庁時間の客と重なって、昭和の雰囲気を堪能。

「昔、シスプリの妹達が男性器をなんて呼ぶかを真剣に考えたことがあったよ
可憐はスタンダードに“おちんちん“、
春歌は“魔羅“といった具合に、それぞれのキャラに合わせて考察したけど、
亞里亞だけは変わらずに“兄や“だったよ」