NHK-FM、「青春アドベンチャー」で放送中の「時砂の王」、オーヴィル主観の時系列に従って脚本を再構成している。原作をもう忘れかけているけれど、冒頭はいきなり過去の日本で……という場面から始まったのではなかったかな。それとも、いずれ冒頭部分を後回しにして、他は原作通りなのか?

某所より。
「わいせつだの暴力だのよりも,「人気が数値として可視化され,承認欲求を刺激され続ける」ということのほうが「インターネットが青少年に与える悪影響」として議論されるべきなのではという気がしないでもない」
一昔前に見かけたような表現であるところの「通帳の残高が増えていくのを見て満足する」ならばささやかな幸せで済んだところが、毎時毎分毎秒で変化する数字の乱高下には心の平穏が保てない……かもしれない。弱い刺激で満足できる幸運。

修士課程始めの頃、図書館のレファレンス室で、コツコツと、たぶん古代語を少しずつ訳している教授と思しき人がいた。院生時代の僕には、個人研究室を持つのが夢だったので、なんだか貧乏ったらしくみえた。でも今ならわかる。あの先生は、至福の時間を過ごしておられたんだ。今なら凄くわかる。」