プランターのキュウリ、よく育ってる方を摘芯。

某所より。
「感情の模倣はおそらくAIにとって比較的容易な分野で、一方人間はテクノロジーの進歩に従ってどんどん感情を失調する傾向にあるので、いずれ人間は機械から人間性を学ぶようになり、「こういうときは、笑うものですよ」「悲しいなら、泣けばいいのです」などと感情教育される時代が来るのかもしれない。」
ああ、ジョン・クロウリーの『エンジン・サマー』はそういう物語だったのかもしれない、とようやく腑に落ちた。限定的な存在である主人公の体験談を、どうして<天使>が(繰り返し、だったかな?)聞きたがるのか。読み終えても分からなくて、以前ふの付く某所で「人間性を保つため」という理由を見かけても合点がいかなかったのだけれど、なるほど、「人間性を保つため」、か。

「かつて両思いだったのに互いにそれを知らずにいた二人が十年越しにVR空間上で再会、少年少女の姿で疑似青春を楽しんだ後、「昔好きだった人を思い出しました」「私もです。あのときちゃんと気持ちを伝えてればなあ」などと嘆き合い、何も知らずに別れる、みたいなことも近い将来起こり得るんだろうな。」