朝の総武線は遅延することもなく、田町で昼の部を満喫した後、品川からの新幹線できーは帰っていった。やれやれ。物販とか握手会とか700人の小屋とか、よく分からないが、新渡戸稲造は役に立っただろう。

みーから今年のカレンダーが到着。今までの物に比べると、写真が一般の旅行撮影めいている。つまり、アップが減って遠景が増えた。そう言えば、さいとう・たかをは海外旅行をしない代わりに、海外へ出かける知人に頼んで家屋の写真など撮ってきてもらうのだという話を、えーと、30年近く前に聞いたけれど、本当かなあ。その写真を『ゴルゴ13』に活用していた、という話だった。

リュックサックに詰めた衣類を、防水用のビニル袋で包み、宅配便で先払い。レジの担当がバイトを始めたばかりのようで、先輩や機械と首っ引き。配達指定は1月7日の18時過ぎ。

「創作に必要なのは想像力よりもむしろ決断力で『これはこう!こういう話にする!こうだ!』と決断して話を組み立てて制作していく能力がないと、永遠に曖昧な自分の中ではいい感じの妄想とそれっぽいけどよくわからないイラストやメモを生産するだけになるという実感がある。2018年の反省である。」

某所より。
仮面ライダー龍騎オープニングの無人の渋谷は元旦早朝の撮影だった、というエピソードは有名だが、わずか18年前は、元旦早朝の渋谷に人がいなかったのだなぁ。」
年始なので道路に寝転がる「グラニュレイテッド・ハピネス」を思い出す。冬コミ3日目、当初「センチメンタルグラフティ20th」がブース出展する予定だったものの、クラウドファウンディングが上手く行きすぎてチケット完売、頒布物が無くなり、ブースをキャンセルしたのだとか。「グラニュレイテッド・ハピネス」も20周年が近づくけど、何か起きないかなあ。

明日に備えて、きーはガーリックフランスを購入。大晦日は、用意しておいたチーズフランスとベーコンエピを食べられてしまったので、赤いきつねだったなあ。紅白歌合戦を見ながら、緑のたぬきを年越しそばにしていたけーは、日付が変わるまで起きていて、友人宅では3時までとか何とか。

「どうやら非オタクの人間は同じアニメを毎日繰り返し観たりしないらしく、旦那には「また同じの観るの?!怖い」と言われてしまう
何言ってんだろうな、昨日観た逆シャアと今日観る逆シャアは別物だろ アニメは生きてんだよ」

年末に蛍光灯を買った折、ふの付く某所で安いという話題を見かけていたので、ついでにUSB3.0フラッシュメモリ32GBも購入。小型でキャップも無く、そりゃ安かろうと。

乗り物酔いで気分の悪そうなけーを見送る。きーは5日のコンサートまで居残り。pixivは見なくなってTwitterらしい。

「20世紀に入っても人は神が創ったと信じている人がどれだけ居たかは解らないけど、キリスト教圏では宗教的価値観が人の心に深く根ざしていた
カント以来、哲学の中で神の名を口にする人は殆ど居なかったけどその価値観は宗教観に影響を受けていた
優秀な科学者や数学者が必ず無心論者か、といえばそうでもないように
それまでのサルトルまでの哲学者は自身の宗教観と哲学が分離できていなかったんだよ

ところで、サルトルのあと構造主義という考え方が流行ったのだが
これは人の思考は生まれた時代・地域・属する社会に影響を受けるので、実は思っているほど主体的に生きている分けではないという考え方だ
この構造主義サルトル以前の哲学をうまく説明している、哲学をしながら宗教的価値観を捨てられなかった人達はキリスト教圏の構造の中で生きているのだ」

続、冬コミ3日目。『艦隊これくしょん』の夕立コスプレの隣で食事。タコスはキャベツの水気が多くて大変そう。ソーシャルゲームの話などしているうちに、メイド愛好家の依頼で「70年式悠久機関」を確保した南が、東8ホールまでやってくる。考えてみると、東7・8ホールに入ったのはこれが初めて。る。コスプレはすれ違いざまにに見かける程度。13時過ぎだったか、14時前だったか、この段階で撤収。ゆりかもめの改札前で、メイド愛好家と年末の挨拶をして別れ南と潮風公園まで戻り、同人誌を置き忘れていないのを確認、解散。好転で気温も高め、事前の予報では寒波の襲来も言われていただけに、混雑を除けば、環境に恵まれたイベントだった。

きーが田町のイベントに備えて下見。コインロッカーの場所や、品川駅で新幹線に乗り換える工程など。名古屋は千葉駅周辺をぶらついて、食事場所に苦労したらしい。少し横になった後、離れた場所まで送る。

「>アニメだと動きがある分急にデフォルメされると違和感が凄いのは何となく予想できる
画面の大きさ変えないままデフォルメの情報量に急に変えるのも違和感大きいしね
これはコマの大きさを自由に出来る漫画の利点」

冬コミ95の3日目に出かけた……と、これは昨日の話。潮風公園からゆりかもめに乗って、思っていたよりも早く、昼前に入場。西ホールをちょっとだけ覗き、タクシープール方面から東ホールに戻ろうとしたところ、狭い出入り口に行列が圧縮されて大混雑。女子更衣室の通路に入る前が一番きつかった。東ホールのJ・Kにある評論系だけ流し見して、ASAに挨拶。『ゴブリンスレイヤー』は面白いけど、アニメと小説だけで漫画はまだ1巻だけしか読んでないとか、冒険者はゴブリンを舐めすぎとか、『フルメタル・パニック!』は読んだことがないとか、小説家界隈の件とか、四方山話。P氏と2人がかりで、今は『異世界おじさん』だ、と推しておく。メイド愛好家と合流、西ホールの南と連絡をつけて、東8ホールのイートインコーナーに移動。これが今回のお目当てで、一風堂はすでに完売済みのお土産のみ。『エル・カザド』を思い出してタコスが気になったものの、ビーフステーキライスにしておいた。この項、続く。

「何者かになる/ならない/なれない、というのは、いまの時代を生きている人間にとって、ずっと大きなテーマであり、プレッシャーになり続けているような気がします。」

「ある種の人間には(あるいはある種の時期には)、「やってはいけない」と言われていることをあえてやることで(そしてそれを「許される」ことで)相手からの愛情を確認したい、という、かなりややこしい欲求があって、これをコントロールできるかどうかはともかく、自覚するだけでだいぶマシになる。」

「これの対策として「物語の最終決戦のシーンを最初に考える」という方法があるそうです。これをすることで、「物語のラスボス」「主人公の目的」「決戦に至るまでの経緯」「決戦の結末とその後」のすべてを考えやすくなるそうです。」

「SSSSグリッドマン庵野秀明が始めた2つのプロジェクト?特撮の保存とアニメ(ーター)見本市?が、わずか1クールで見事に90年代のセカイ系アニメと円谷特撮…とりわけ旧劇エヴァを総括してみせた。限られた分量による食べたらなさはあるけれど、ガイナ系次世代たちの咆哮として快哉を叫びたい。見事。

最終話もウルトラシリーズからのオマージュが演出として目立っていたけれど、アカネの内心に関わる構図や記号はエヴァのオマージュが多かったのは示唆的で意図的。旧劇エヴァのラストからウルトラシリーズ最終回に繋げ、マイトガイン的な次元跳躍を経由して庵野的実写に落とす構造のアクロバットは見事」

ゾンビランドサガ、1話目で唯一事情を知る巽幸太郎という人物をああいう何を聞いても真面目に返してくれない話が通じしないヤベー奴、と他のキャラと視聴者に印象付けて、劇中真相に一向に触れないストレスを霧散させる作りにしといて、最後の最後たった1カットで「執念の男」と転化させるの相当ずるい」

「昔観たAVを漠然と探し徘徊する壮年男性は多く行きつけの中古DVD屋に杖をついた老人が現れ緊縛風のタイトルと女優名も言ったが聞いた事もなくたぶんVHS時代にSMクラブ所属の女優がバイトで出演した様なAV。店員に判らんと言われ爺さんはここにも無かったという表情で冬の灰色の空を見上げて歩いて行った」

「死亡の理由をキャラ個人のトラウマに変えさせて,導入の共通パートはギャグと伏線に特化し,個別ルートに入ったらトラウマ解決編で泣きに寄せていくスタイル,往年のエロゲーと同じ手法なのでゼロ年代オタクがゾンビランドサガにはまっていくのは運命なのじゃ。」

「SSSSは、それこそ現実世界ではたった一晩の出来事だったのかも知れないなあとか思っています。一晩のうちにアカネちゃんは卑劣な魔王に魅入られ、夢のヒーローと別世界の友達に助けられて現実に帰る。」

グリッドマンは昔の特撮を夢中になって視てたオジサン世代と未見の若い世代とで評価が全く変わるだろうね
俺は前者なのでフィクサービームでアカネの心を修復云々のとこで滂沱の涙」

「写真を撮る時は、いつも「闇夜に霜の降りるがごとく……」というフレーズを思い出しながらシャッターボタンをそっと押す。(それは引き金を引く時の話だ!)」

「図書館で借りてきた哲学の本を読んでたら、フロイト先生いわく「女性とは、最初に愛し愛された人間が"同性"である者の事」「男性は異性イメージの幻想として母性を思い浮かべればいいが、女性にとっては原初の愛の記憶がまず同性であるのだ」との事だけど過激派の百合厨みたいだなこいつ」

「うちの師匠が言うに
「子供でも一度聴いたら忘れないような名曲を分析し
もうこれ以上は削れないところまで 単純にしてみろ
大抵はT-D-T
単純というものは神秘なんだ それを舐めるな」
・・・だそうです」

「「薄い本」を読み漁っている方々、岩波新書にも例えば200頁未満の薄い本ありますよ。」

「以前何かで読んだ、電車で遭遇して思わずあっ死神博士!って口をついて出たら『いかにも』と返事してくれたって話が狂おしい程好き。」

以上。

ガガガ文庫の『コップクラフト』が来年アニメ化だとか。竹書房で、作者が別名義を使って、『ドラグネット・ミラージュ』という書名だった頃に読んだのは2巻までだったかな。ガガガ文庫の方は、おそらくZが読んでいたのではなかったか。賀東招二の『フルメタル・パニック!』は全巻読破と思われて、在りし日の香港旅行では、尖沙咀から香港島を指さして、「『フルメタル・パニック!』で「ハンドガン以外なら何でも届く」と出てきた場所」と話していたのを思い出す。スターフェリーに乗って香港島の夜景を見ようとしたのに、パスポートをマッサージ店に置き忘れ、即座に引き返したのも懐かしい。

某所より。
「でも時々、陵辱エログロなんでもござれって神絵師なのに「好き過ぎて汚せないキャラクター」が居るケースがあって、それに気付いたときは不死身の魔神が隠した心臓を見つけたような気持ちになる」
以前、ASAにとっては音無響子がそれに該当すると聞かされた覚えが。明日は、寝坊しなかったら、冬コミ最終日に出かけて挨拶したい。

「コンプレックスは呪いではなく、あるべき自分という空想上の生き物と自分との差異を書き綴った、長い長いメモでしかない。」